朱音

乱世備忘 僕らの雨傘運動の朱音のレビュー・感想・評価

乱世備忘 僕らの雨傘運動(2016年製作の映画)
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雨傘運動とは。
1997年、中国に返還された香港では「一国二制度」の下、高度な自治が認められている「特別行政区」となった。「香港特別行政区基本法」には将来、「普通選挙」で行政長官を選ぶことができるとされたが、2014年全国人民代表会議は共産党が支持しない候補を選挙から排除する仕組みを導入する「8.31決定」を下し、民主主義的な普通選挙の道は閉ざされた。「8.31決定」の撤回、真の普通選挙の実施を求め、香港の金融街・中環(セントラル)を占拠する「オキュパイ・セントラル」が計画された。大学では授業ボイコットが行われ、ジョシュア・ウォン(黄之鋒)ら若者による組織「学民思潮」は、政府本庁舎前で抗議活動を開いた。催涙弾で鎮圧しようする警察に、数万人におよぶ学生、市民たちが雨傘で抵抗した事により「雨傘運動」と呼ばれるようになった。しかし成果を得ないまま占拠を続ける運動に対して徐々に市民からの反発も強まり、79日間に及ぶ「雨傘運動」は終了した。金鐘(アドミラルティ)に残ったバリケードには、「It’s just the beginning まだこれからだ」というメッセージが残されていた。

上記引用。


往々にしてこのようなドキュメンタリーを観る際には、観ている間はその登場人物たちにシンパシーを感じ、感化されるのだが、観終わって事のあらましを調べると、作中オミットされていた事柄が分かりだして果たしてどちらの言い分が正しいのか分からなくなる。いや、どちらが"正しい"ということはそもそもない。あるのは異なる言い分と、異なる大義、そして成果と弊害である。

参加者として雨傘運動の渦中に飛び込み、カメラを回したチャン・ジーウン(陳梓桓)は占拠活動が盛んに行われている金鐘(アドミラルティ)とモンコック(旺角)に赴き、そこで知り合った仲間たちと行動を共にしながら、ときにはデモの最前線にたち、警察の脅威を目の当たりにし、ときに路上に座り込んで、彼らの話に耳を傾ける。
ジーウン監督が知り合ったデモの参加者たちは能動的で、勢いのある若者たちだが、必ずしもデモの中核に位置する人物たちではない。
また活動範囲が香港の金融街・中環(セントラル)からは離れているため、「雨傘運動」における、真の激動に身を置いていた訳ではないのだ。その為か、本作からは、この運動を通して描かれる社会的状況の変化や、周辺住民との軋轢、中核内部の動向、そうした俯瞰的なものがいまいち伝わってこない。
伝わるのはいわば等身大の学生や若き社会人たちの、お祭りや文化祭準備に追われるような、テント設営や物資調達および配給、そして座り込みといった、こういってしまうのはなんだが、末端の活動のみで、その意匠もドキュメントというよりもどことなく青春群像劇的だ。


一方、親中団体の愛護香港力量代表の李嘉嘉は「街頭デモは当初、金融街セントラル(中環)占拠を計画していたはずが、モンコック(旺角)など市中の路上占拠に変質した。デモが圧力をかける相手は政府や金融界ではなく一般市民になった。救急車など緊急車両も通れない。商業や観光業など経済にも影を落とす。デモに一般市民の反発が強まったのは当然だ。」と話す。

これがいわゆる学生を中心とした市民デモの弊害であり、後の失敗に繋がる浅慮が見え隠れする。
作中でも度々映されるのは政府との対立という以上に、警察との衝突であり、最も憂慮すべきは"如何に逮捕されないようにそこに留まり続けられるか"なのである。本末転倒的とまでは言わないが、民主化運動におけるデモ活動の、本質的な実態がそこに表れているように思う。
それでも、何もしないよりはよっぽど意義がある。
日本でも、先日行われた選挙に行かなかった人がどれほどいることか。


以下Wikipediaの引用だが、その後の動きの補足として。

2015年9月28日、香港で運動開始から1周年を祝う記念集会が開催されたが、1000人しか集まらず、運動当初の熱気は冷めている傾向にある。原因として、若者が自主的に集まった運動であるため、統制が取れなくなり、内紛が起こって脱退するメンバーが相次いでいることや、中国本土人や政府への暴力を肯定するような過激な者が目立つようになり、支持者の中に失望感が広がっていることなどが指摘されている。

このような雨傘運動の失敗が、2019年〜2020年香港民主化デモにおいて、リーダー不在、意見の相違があっても内紛を起こさず相手を尊重するという形になって現れている。


とある。映画に登場した彼ら彼女らの今の言葉をいま1度聞いてみたいと私は思った。
どれほど成果をあげようとも、あるいは結果が伴っていなくとも、そのこと以上に彼ら彼女らのひたむきな熱意に嘘はないのだから。
朱音

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