チャンミ

BPM ビート・パー・ミニットのチャンミのレビュー・感想・評価

3.8
フランスのLGBTのHIVアクティヴィズム団体「Act Up」をテーマにした作品で、とにかく「批判を重ねて議論をする」「決して多数決に任せない」という民主主義な手続きを重ねる描写に圧倒されたし、感心した。
この議論の様子が、映画的な躍動感を駆動させる力にもなっていた。

日本では権利意識が薄く、LGBT団体のアクティヴィズムでも「人権」と言うと現与党が嫌がるので、と言葉にすらしない、という話を聞くし、その真偽は別にしても、実際LGBTに限らず人権問題としてとらえる、言葉にするということがほとんど根づいてない。
一方本作で描かれている、HIVやその感染を防ぐ知識などの啓蒙がされてないという罹患の背景や、特に感染しやすいゲイの人たちへの偏見(この「日陰」意識に病への啓蒙の薄さも重なる)や、血液製剤による感染、など国の政策で防げた可能性というシステムの問題としてとらえ、構造に対して働きかけるという姿勢も人権意識に支えられている。
わたしたちは誰も、病の罹患を防ぐ権利があるし、知る権利がある。
本作で話の軸のひとつになっている、新薬のリリースの遅れやデータの開示をせず、利益追求のために病人という弱者を利用しようとしているフシのある製薬会社に対しての抗議、があるわけだけど、知や議論の力の前提には、こうした営利最優先な姿勢による搾取への怒りが存在する。
「怒っていい」という肯定も、自助団体の頼もしさだとおもう。
ひるがえって日本では、アクティヴィティといえば、「笑顔」や「ピースフル」といった表面的なポジティブ感が前面に出がちでは、とも考えた。

「Act Up」内での議論には、たとえば女性メンバーへのミソジニーがうかがえるエピソードや、トランス女性な手話利用者の罹患者など複合的なマイノリティの存在の示唆、など「LGBT」といった枠組みに押し込めない気配が散りばめられていたことにも配慮というか、誠実さを感じた。
が、ひとつ気になったのは、物語の軸にゲイのカップルの交流があるのだけど、レズビアンやヘテロセクシュアルの女性の罹患者もいただろうに、彼女たちの日常がうかがえず、男性中心的に見えたこと。
が、議論の中だけでなく日常にも、多様なセクシュアリティやジェンダーの人たちが描かれていたけれど、もしかしたら「血友病系の団体」や「性的マイノリティ系団体」と、前者は病理として受け入れられやすいし構成員からの「セクシュアリティ理由のような私的なものといっしょにされたくない」的差別意識があっての差異化、なのかもしれないとも考える。
すると、後者のセクシュアリティ、ジェンダーゆえの社会における居場所のなさがある程度影響するセックスへの指向性や、セックスにまつわる知識の薄さ、HIVという新しい病気、といった複合的な要因によって、もっとも感染しやすかったのが男性同性愛者だから(女性同士のセックスの場合、傷つきやすい粘膜同士の接触が少ないだろうし)、本作での「Act Up」構成員も男性中心だったのかもしれない(このあたり推測なので、関心ある方はぜひ調べてみてほしい、わたしも調べてみる)。
チャンミ

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