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バルバラ ~セーヌの黒いバラ~のdm10foreverのレビュー・感想・評価

4.0
【境界】

映画としての完成度は高いと思う。しかし、如何せん「バルバラ」という実在した伝説のシャンソン歌手を知らないと、この映画は相当難解なものに違いない。
かくいう僕もその一人だ。

―――映画監督のイブ(マチュー・アマルリック)は女優のブリジット(ジャンヌ・バリバール)を主演に、謎に満ちた伝説のシャンソン歌手バルバラの生涯を映画化しようとしていた。彼は少年の頃に本物のバルバラと逢ったことがあり、実際に彼女の曲で心が救われていた経験もあったため、この映画にかける意気込みはただならぬものがあった。
一方のブリジットも撮影の為に借りた部屋で徐々にコンセントレーションを昂らせる。

「こちらが脚本になります。ただ脚本は常に変更されます」
「(大丈夫)私も常に変わるから」

ブリジットはバルバラを完璧に演じきるために、表情や立ち居振る舞い、指先の繊細な仕草まで「バルバラ」を追求する。そして徐々にバルバラと化していくブリジット・・・。

しかしこの映画の構造はとても奇妙だ。あくまでも映画の設定は「『バルバラ』の伝記的映画」をイブが撮ってブリジットが演じるというもの。
しかし、劇中では湖面に立つさざ波のように「どこまでがブリジット」で「どこからがバルバラ」なのかの境界線が徐々に曖昧になってくる。
自然な会話が延々と続いたかと思いきや、突然響く(カット!)の声。ふわっと小さく弾ける緊張感。

(そうか、今までのは撮影だったんだ・・・・)。

観ている側も徐々に混乱を来たす。今目の前にいるのは果たしてバルバラなのだろうか、それともブリジットなのだろうか・・・。
ただ、今まで観た「読解不能」タイプともちょっと違う。それは言うなれば「バルバラを探すために迷い込んだ迷宮」

やがてその迷宮はイブとブリジットをも惑わし始める。イブはブリジットの向こう側に見え隠れし始めるバルバラへの愛情が抑えきれなくなり、もはや撮影監督としての自制すら及ばない世界へと入っていく。ブリジットもまた「バルバラを演じている」ことと自分との境界線が曖昧になっていく。
バルバラの歌を口ずさみながら、その歌詞の中に自分の中にある愛や孤独を投影する。
やがて演じているという感覚すら薄れ、彼女はどんどんバルバラへと移り変わっていく。
日常とも撮影ともつかない曖昧なシーンの連続は見る者の混乱に拍車をかける・・・。

以前バルバラが出入りしていた店で取材をしたイブは当事のバルバラを知る人物からこんな事を言われる。

「彼女は自分の人生を生きていない」

それはバルバラを演じているブリジットの今を象徴する言葉でもあった。そしてそれはいつしかブリジットを演じるジャンヌ・バリバール自身にも影響を及ぼし始める。
もはやそこには時代や場所を超越した「バルバラ」の世界が映し出されていた。
彼女の目に映るもの、彼女の口からこぼれる吐息のような歌声、虚ろげな表情・・・僕はそのどれもが他の誰でもなくバルバラになっていく過程を見続けていたのだ。

これは単純に「熱演」「好演」という評価とはちょっと違うかもしれない。かといって憑依とも違う。
それぞれがバルバラを追いかけ続けた中で見つけたバルバラの愛や孤独がそれぞれの中にスゥッと沁みこんでいくかのような・・・。

とてもレビューが難しい類の作品です。でも嫌いじゃないです。
こういう「答えを求める映画」を観た後で、色々と考えるのが最近とても楽しい。
(あ~いい映画を観た)と心から思える。

勿論「バルバラ」の曲をもっと聞き込んで、彼女に近づいて、そして・・・バルバラを知りたい。そうブリジットのように。
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