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ニッポン国 vs 泉南石綿村のろくのレビュー・感想・評価

ニッポン国 vs 泉南石綿村(2017年製作の映画)
4.4
まずドキュメンタリーとして考えることよりも「映画」としてこれが凄い面白いんだよ。原のドキュメンタリーのすさまじさって下手なシナリオの映画の全然上を行ってしまうことなんだ。

だからか原映画は近年どんどん長くなっているのに見応えばっちりなの。どうなるこいつら、どうなるんだこの展開って目が離せないのよ。「れいわ一揆」も5時間越え、さらに「水俣曼荼羅」もそんな感じ(まだ観てない!観たい!)、この映画もそれに比べれば3時間強で短いんだけど(それでも十分長い)、まあ観てみなって。あっという間に釘づけになるから。

話は皆さんよく知っている石綿アスベスト問題。アスベスト被害により肺がんなどになった原告が国を相手に訴えを、いや闘いを起こすの。おおお、これはベタな権力vs個人の構図じゃない。原の嗅覚が凄いんだけど、「語る」だけでもう「映画」になってしまうんだよ。

そしていよいよ訴訟なんだけど、国の、役人のまあ煮え切らないこと。しかも交渉に出てくるのは決まって下の若者たち。いわゆる「えらいさん」はドアの向こうにいて全く出てこない。「俺がわざわざ行くまでもないじゃないか」そんな声が聞こえてきそう。「お前ら、適当にやっておけ」。この映画を観て僕らは彼らを「誠実」だと思えるのだろうか。少なくとも僕は思えない。自分の居場所を守るための動きにしか見えないよ。

その一方で一人、二人と倒れていく原告。アスベストの被害が体に出てしまい次々に死去。ここらへんも原の凄まじさで「次々と亡くなっていく団体」というまさに映画文法にのっとった展開なの。人の死をそんな風に書いてはいけないけど、原は「映画のためなら何しても」の人なんだ(それは「全身小説家」でもわかることだよ)。死ぬことすら想定してこの映画を撮っていたのか、そう思わせてしまうくらい文法通りなんだ。そして当然それに引き込まれてしまう(それはいいことなのか悪いことなのか)。せめて訴訟が終わるまで生きてくれ。自然と応援してしまう自分がいる。

ドキュメンタリーだけど原ドキュメンタリーの定番で「中立」ではないんだよ。思いっきり、石綿村に沿っている。それでもいいと思う。それで少しでも考えるきっかけになれば。最近思っていることは中立とか正しいとかの前にまず「語る」ことの大切さなんだ。それがあってあとに考えればよいと思ってる。だって知らないのに語ることはできないだろ。映画は「知らせる」ものなのではないか。それは「タクシー運転手」でも「ウインター・オブ・ファイヤー」でも「新聞記者」でもそうで。ただ観ているこっちにもリテラシーが必要だ。観て「ほらいけない!」ではダメなんだ。そこから冷静に考えることの重要性ね。

「ゆきゆきて進軍」でもそうだけど、原は強い男を描くのがうまい。今作でもそれは十二分に発揮されている。それが誰かは観てみればわかる。彼が正しいか正しくないか。それに関しては僕は疑問符だが、少なくとここれは言える、彼は強いと。
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