230629
自転車競技の
ランス・アームストロングの
ドーピング事件の思い出す。
1人がやっていれば、
横にいる1人もやる。
負けを認めるか?
競技を辞めるか?
その質問を突きつけられた時に、
負けと辞めるという答えを
選ぶことができるだろうか?
そして、
1人がはじめ、
横の1人が続けば、
国家・競技全体に広がらない
理由があるだろうか?
スポーツ科学の進化。
その進化は
ドーピング進化と同義語なのだろうか?
自転車競技を観る時に、
その素晴らしさと一緒に
ドーピングの存在を感じてしまう。
それもスポーツの一部として
みてしまう。
それを進化として認めれば、
それはそれでスポーツなのだろう。