140字プロレス鶴見辰吾ジラ

映画HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.7
“アリアドネ”

2018年新作映画100本鑑賞達成!
Filmarks通算900レビュー達成!
記念すべきメモリアルムービーに相応しいのは…

プリキュアだああああああああああああああああ!!!!

本当に驚いた。
まさかこんな衝撃作になるとは…
私の映画体験の中でも群を抜いた快楽。
この映画以上に
映画館の座席に座っている意義を見た映画はない。

映画鑑賞は、他人の感情の投影に金を払って
個人の趣向を満たす時間の浪費行為なのではないか?
と常に背徳感を感じながら座席に座っていた。
特に本シリーズはその背徳感をより感じる映画体験である。
しかし本作は、第4の壁を越えて
私だからこそ
我々だからこそ
この場にいることが許され
あの場にいたことに意味のある瞬間だった。
間違いなくあの瞬間、私の頬に涙が伝った。
私は「STAR WARS」も「ロッキー」も見たことがない。
その罪悪感に手を差し伸べてくれたと思った。
無宗教と言われる日本人だからこそ生み出せる
偶像崇拝の最たるものが
ヒーロー哲学と重なり、想いの集合体となる。
見たか!サノスのクソ野郎!!
確かに私の心は叫びたがっていた。

本作は特殊な構成である。70分ほどの上映時間にダブルクライマックスが配置されており、冒頭から世界観に放り込まれ、濃縮されたアクションを繰り出される様は「MAD MAX 怒りのデスロード」を彷彿とさせる。そして前半部と後半部は、アクション映画史におけるアナログアクションからデジタルアクションへの変遷を物語っており、MSCの「キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー」から「キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー」の引きの絵のアクション演武から、縦横無尽のカメラワークから迸るアクション攻勢の快楽と似ていた。「日本よ、これが映画だ!」と煽られて、それに日本の創作ヒーローが立ち向かう構図としても前半と後半のアクションの提示と絵の切りかえは大いに機能していると思う。

そして前半部のクライマックスと後半のクライマックスへ繋ぐテーマ性は、短い上映時間とは思えない程濃密にヒーロー論を、社会的に根差しそして我々への救済にも受け取れるエールのように思えた。前半部は、育児をテーマにする「HUGっとプリキュア」がテレビシリーズで見せなかった“悪夢”がヴィジュアル化されてしまう。「HUGっとプリキュア」に近い作品と言えば、間違いなく「クワイエット・プレイス」である。vsブラック企業という心の荒廃した世界で、未来へ繋ぐ命を育む美しさと育児の過酷さという点で、現代において抑圧された声なき声の攻撃性が感じ取れる。その前半部で描かれる育児においての戦慄するような地獄絵図を子供向け映画というジャンルで炸裂させるシーンがある。子どもから見ればギャグかもしれないが大人から見れば恐怖以外の何者でもない一連のシーンはピクサー的な子供から大人まで魅了する野心も含め悪夢的だった。少人数精鋭でハイエモーションへブチ上げる様は、歴代のプリキュアを見ていた者たちにとって、記憶を「レディ・プレイヤー・ワン」のレースやダンスシーンのように思い返し、怒りに震えそして勇気づけられる構成となっている。

後半部は、完全なる物量クライマックスというエモーションの波状攻撃へと変貌を遂げる。プリキュアの“Cure”の要素である敵の浄化をテーマに据えた上で対する敵の正体と過去の顕在化により、本作は育児の過酷さと愛の覚悟から、虚無に堕ちた者への救済映画へとシフトする。終盤に示される冷たい雨に打たれるシークエンスは象徴的で、飽きさせないギャグ描写の連続はあるものの、そこに見られるには真に絶望した者を引き上げるアリアドネの姿だった。「エクスペンタブルズ2」の空港の大銃撃戦のような全方位アクションのデジタル性と惜しみないキャスとの投入の快楽でエモーションは物量的に急上昇をして、純なる聖女の優しさは、現代が抱える鬱病問題にも切り込んでくる。「インセプション」や「アントマン」で描かれたような、階層を重ねた精神世界の果てから、絶望に犯された心の救済を行うことは、鬱病に犯された現代的な絶望に効く特効薬のように映った。そうだ、私は抱きしめて欲しいし、愛されたかったんだ…

この後半部のハイパークライマックスを彩り、そして上記で示した映画体験としての圧倒的な意味を与えた第4の壁を越えた呼びかけは、15年というシリーズの重みと我々の想いの意義を噛みしめさせる、とんでもない瞬間だった。まさに「ラストアクションヒーロー」だったのだ。

荒野を走れ、傷ついても
冗談を飛ばしながらも
死ぬなら1人だ
生きるのは1人じゃない
鬱々とした現代という厚い雲を
切り裂いて手を差し伸べる
彼女たちはアリアドネなのだ。

こんな逸話がある。
あるロックバンドのリーダーが
自殺を考えるほど落ち込んでいた
TVから流れてきたのは
あるコメディアンが送った笑いだった。

私たちもプリキュアから勇気や救済を貰ったはずだ
彼女たちは、彼女たちもまた
「日曜日よりの使者」なのだ。