ソウキチ

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3のソウキチのレビュー・感想・評価

5.0
寂しい…
観終わった今、パレードが終わったような寂寥感に包まれている…

GOTGシリーズは三部作をもって過不足なく完璧に終了した。そしてこのトリロジーはMCUサーガのピースのひとつという位置付け以上に、ジェームズ・ガンのパーソナルな物語として彼のフィルモグラフィの集大成となった。

今作ではじめて明かされるロケットの過去。人体や義肢に対する倒錯した執着や、普段の彼の反知性的で粗暴な振る舞いは自らのトラウマと対峙するための武装であったのだと理解した。ロケットはクイルと並び、トキシックな父親の元で少年時代を送り大人になってもアクションフィギュア(完璧な肉体)を収集していたというガン監督自身の投影であり、冒頭のRadiohead"Creep"から胸が締め付けられた。

対する今作のヴィランのハイ・エボリューショナリーが象徴するのは、行き過ぎたキャンセルカルチャーとポリティカルコレクトネスであるのは言うまでもない。とってつけたような多様性の名の下、その実はすべての種をヒューマノイド化するという価値観の剪定でしかない。

思えばガーディアンズはヒーローでありながら、常に「正しさ」や「完璧」という敵と戦ってきた。それこそがシリーズを通しての精神性だった。そのラスボスとして申し分ないヴィラン造形で、現実を何も表していないカーンとは雲泥の差だった。

「お前は完璧を求めてるんじゃない。ありのままを許せないだけだ」こんなセリフを自らをキャンセルしたディズニーのお膝元で書けてしまうブレなさに惚れ直しました。

ドラックスを殴ったネビュラに対して「彼がバカだとしても彼を押す権利はない」と叱責したマンティスや、アダムウォーロックに与えられるセカンドチャンスのくだりも印象的で、ネット上で連日連夜おこなわれる魔女裁判と私刑に対する監督からのアンサーだと感じた。


<<ここらラストに言及します>>

Guardians of the Galaxy will (not) return.

ラストの解散。今のマーベルもといディズニーでこれをやってのけること自体が凄いことだと思う。GOTGはガン監督にしか撮れないというキャスト・スタッフの総意であるし、何よりキャラクターが生きていることの証左であると思う。キャラクターが生きているからこそ成長し、成長する以上は同じ場所にはいられないから。人気キャラとなると擦り倒すフランチャイズの中で、きちんと別離を描くストーリーの誠実さ。

そしてこれはDCに転向したジェームズ・ガン本人と、彼の「ガーディアンズ=守護者」達からのマーベルスタジオへの餞のメッセージでもある。着地完璧すぎるわ。

というわけで久々にMCUの作品で心から感動しました。クソ寂しいけどクソありがとう!ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーはたぶん帰ってこない。
ソウキチ

ソウキチ