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歩けない僕らはのairiのネタバレレビュー・内容・結末

歩けない僕らは(2018年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

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「歩けないぼくらは」は2度鑑賞。
舞台挨拶にも参加。上演前のQ&Aー。勇気を出して聞いてみた。オチくん、板橋さん、佐藤監督それぞれからのAー。直接ご本人に意見を伝えて、意見を聞くことが出来るなんて、こんなに幸せで貴重な時間はないと思った。

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オチくんが初日の挨拶で話してくれていた内容ー。「1から10まで助けるのではなく、本人の為にもやり過ぎないのが良いのではー」と。その話を聞いて、共感したこと、はっきり覚えていた。


映画を観た当時、おばあちゃんが脳梗塞になり左半身不随の生活を送っていた。理学療法士さんには家族で長い間お世話になった経験がある。家族が一番分かってあげられると思っていても、家族という存在だから、近すぎてぶつかってしまう事、どう接していいのか分からなくなって苦しんだこともあった。


助けるだけが優しさではない、と。
実際自分が祖母と接していてそう思った。
だからこそオチくんの思いに再度深く共感ー。

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板橋さんからは理学療法士を演じる際のお話をー。
実際の理学療法士さんがそうであった様に、重すぎない気楽な感じで「大丈夫、大丈夫」というようなテンションで演じたとお聞きした。これにも共感。


家族でお世話になった理学療法士さん達も、世間話をして笑顔で明るく元気をくれる方が多かった。自身の実体験を元に役に寄り添っていたのだと知った。


目の前の現実を受け止めなければと思い始めた頃、理学療法士さんの存在は本当に大きな支えだった。本人は勿論、その周りで支えている人も。本人と同じくらい歩けないという事実を受け入れるのは難しい。悩むことが多くどれだけ泣いたか。それを思い出して、鑑賞中、涙が止まらなかった。

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佐藤監督は「撮影後に変わった事ではないけれどー」と、撮影中に起こった自身の家族のことを話してくれた。まさに「僕らは」の部分の話だったと思う。わたしには遠い話ーの他人事では決してない。身近な部分が描かれた作品を届けてくれていた事に気付く。

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柘植と同じ状況のおばあちゃんに
劇中の柘植のセリフと
全く同じことを言われたこともあった。


「もうやめてくれよ。」
「もういい。」
「もう歩けなくていいよ」
「なんで俺なんだよ」


本人の為を思ってサポートしているのに。
そう言われた時は凄く悔しくて胸が痛かった。

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その後私が言い返した内容が劇中の宮下さんの投げかけた言葉とほぼ同じだった時はビックリした。事実と正面から向き合い笑うことが出来たのも「その先にある未来に向かい一緒に歩きましょう」そう背中を押してくれた人の存在があったから。


思うように身体が動かせずイライラしている祖母とぶつかることもあった。それでも何度も向き合うことで、以前よりも祖母を知ることが出来たし距離が近くなった。なによりお互い素直になれた気がする。この作品を2度も劇場で観れたことー。"これから先"に、とても意味がある時間だったと思えた。

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2度目の鑑賞後、改めて感じたことー。
インタビューや初日でオチくんが何度も触れていた、「柘植が歩けるようになるのか」という話ではなく「歩けるようになってどうしたいか」その先へ続くお話であると言っていた部分について。


柘植さんと遥さんのラストシーンからも作品に込められたメッセージを受け取ることが出来たし、「柘植が歩けるようになるのか」という話ではない!とオチくんが何度も言っていた理由が本編を観て分かった。

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実際に歩くことがゴールではなく、歩けたならそこが新たなスタートな訳で。そこから歩みだす、"僕ら"になれるように頑張りたいと思った。それから「歩けない僕らは」この複数形の意味が分かった気がした。


タイトルに込められた作品のメッセージ性とその思いに背中を押された。「歩けない僕らは」という作品がある事を知ってほしい。そして観てほしい。もっと広がって広がって広がってほしい。広げたい。


そんな作品。
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