弟のMax Eggersが書いていた脚本を1890年代の時代ものに変更したRobert Eggers脚本監督作。
時代ものに拘るロバート・エガースの脚本冒頭には「この映画は35mm白黒ネガフィルム、アスペクト比1.19:1、音声はモノラルで撮影する必要がある」と記されていたとか…。
もはやフィルム使用の方が、予算も手間も時間もかかる時代のなかで、この徹底した拘りはクリストファー・ノーラン級か…
カメラレンズも1910~30年代のオールドレンズを使ったとか…。
真っ白な画面から、ザラザラと粗い粒子の粒のようなものが浮かび上がり、それが灯台のある島だとわかるオープニングなど、雰囲気たっぷりである。
ただ冒頭の灯台だけ、ちょっと違和感あったけど…灯台が偽物っぽかったけど…CGかな?こんなにこだわりの強い男がCGを使うとも思えないが…
この灯台を監督は「男根の象徴」語り、脚本には灯台と勃起したポコチンを比較するカットがあったらしいのだが、A24にとめらたんだと…
灯台がポコチンの象徴で、そのポコチンの下で必死に働く灯台守は一体何の象徴なのか?
金玉ということでいいのかしら?
ちょうど2人いるし…
ポコチンの下で右往左往する2人は、ポコチンの下で必死に精子を作り続ける金玉の象徴ってことで宜しいかな?
とにかくクソ真面目に見ていても全く理解できないので、ふざけた見方でもしないと到底処理することができない。
靉光の『眼のある風景』(1938)を見て、あの眼はなんだろう?あの眼の周りにある赤黒い物体は何を意味しているのだろう?
色々な人の解釈はあるだろうが、正解は描いた本人でなきゃワカラナイし、もしかすると靉光自身にもワカラナイのかもしれない…。
ワカラナイという謎が、余計に人々を惹きつけて止まないのかもしれない。
これは何とかなんです。と本人が断定したら、へぇ〜!っで終わってしまうかもしれない。
ただ意味がワカラナイのも過ぎると、お手上げで興味も失せてしまう。この按配が芸術の難しさなのかもしれない…。
個人的な感覚としては、本作は意味がワカラナイのが過ぎていたので、だんだんとスクリーンへよ興味が薄れていき、ブォーンブォーンと一定の感覚で鳴る音(あれは何の音なの?)が子守唄の効果となって眠りを誘う。
打ちつける激しい波はあれど、物語の波は凪のようだった…。
カモメを殴り殺すところと、ラストの鳥葬くらいか…とにかく屁をかますデフォーは最後まで引っ張ってほしかった…。
壮絶な撮影だった割に、理解されないから大熱演した二人に申し訳ない気持ちになる。
本作を理解するために何度も何度も繰り返し見ようと思う人が果たしているか?いたとして…その作業、楽しくないんじゃない?