Yukiko

チャンブラにてのYukikoのレビュー・感想・評価

チャンブラにて(2017年製作の映画)
4.0
2020年8月8日
『チャンブラにて』  
  2017年アメリカ・フランス・イタリア・ドイツ・スウェーデン・ブラジル制作
監督、ジョナス・カルピニャーノ。

イタリア、ラブリア州、レッジョ・カラブリア県。
ジョイア・タウロと呼ばれる共同体(コムーネ)には、
スラム化したチャンブラという通りがある。
そこに住むのは、ロマの民族。
所謂、ジプシーと呼ばれてきた集団だ。
ピオ・アマト(本人)は14歳。
祖父や家族全員と一緒に暮らす大所帯。
貧しくまともな職に就けず、父と兄は刑務所に拘留。
ピオは友人のアフリカ系移民のアイヴァ(クドゥ・
セイオン)の助けを借りて、一家を支える為の金を
稼ぎ始める。


話は淡々としていて、少し退屈。
観終わるのに2日もかかったけれど、最後まで観た。
ジプシーの現在の姿を知らせる映画として珍しい。

ブーツの形をしたイタリアの国の靴先、足の指に位置する
箇所、ジョイア・タウロ。シチリア島に近い。
その西側に南北にある通りがチアンブラ通り。

元がジプシー故にまともな職に就けず、差別されて暮らす。
ピオは14歳で飲酒に喫煙、兄からストリートで生きる術を
教わる。
盗んだり、騙したり・・・

これで成長しても結局は刑務所行きかな・・・と思わせる。

でも、ピオにしてみれば、大所帯の家族を支える為、
盗むのもお金を得る手段なわけで、生活の糧。


観ている途中で、ジプシー、ロマについて調べた。

世界各国に散らばるロマ=ジプシー。
定住政策をするものの、依然としてある差別問題。
ある国に至っては、ロマはいないと断言し何の対策もせず。

この映画は問題を浮き彫りにしている。
子供が悪いとは思えない。生きていくための術だ。
定住政策をするなら、同化政策はできないものか。
アイデンティティが自分らの良い未来より大切か?
人種が違うからと言って差別するなよな。

ドキュメンタリーのような映画。
ご本人が演じている。

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<ジプシー> Wikipediaより転記
一般にヨーロッパで生活をしている移動型民族を指す民族名。
当人らの自称として「ロマ」「ジンティ」「トラヴェラーズ」
がある。
宗教面ではキリスト教(カトリック、プロテスタント、
正教会)やムスリムの方々もいる。

15世紀。
ドイツでジプシーを確認している最古の記録は1407年のもの
である。
フランスでは1419年、東部のシャティヨン・アン・ドンブに、
「小エジプト」出身の伯爵ニコラを名乗り、神聖ローマ皇帝と
サヴォイア公の保護状を持つと称する人物に率いられた一団
が滞在した記録がある。
1421年のアラスで歓待された集団は、肌や髪が黒く、髭を伸ば
し、服装を含めて当時の西欧市民と大きく異なる見かけで驚か
れた。
1427年、パリに現れた彼らは、「自分たちは低地エジプトの
出身である」と名乗った。

ここから「エジプトからやって来た人」という意味の
「エジプシャン」の頭音が消失した「ジプシー」 (Gypsy) の
名称が生じたと言われる。

「小エジプト」「低地エジプト」が具体的にどの地域を指すか
を彼らはほとんど語らなかったが、エジプト出身であることは
15世紀末には疑われるようになっていた。
1611年の書物には、ギリシアやダルマチア(ともにバルカン
半島)からやって来るとの目撃談が記されている。
ただし西欧に出現した当初、彼らは、故郷においてキリスト
教徒であり、ムスリムに征服されて信仰を一時捨てたものの、
再び改宗し、ローマ教皇の命で償いの巡礼をしていると説明
した。
このため欧州キリスト教圏で好意的に迎えられたが、次第に
犯罪などのトラブルが警戒されるようになり、たどり着いた街
から早く出立するよう求められることなどが増えた。
一方で傭兵や占いでは重宝がられたが、欧州で国家の権力が
強まると、都市や農村の共同体に属さないジプシーは取り締
まられるようになった。
追放令や国によっては死刑の対象とされたほか、囚人として
ガレー船の漕ぎ手に送り込まれることもあった。

近年の日本においては、「ジプシー」は差別用語、放送禁止
用語と見做され、「ロマ」と言い換えられる傾向にある。
しかし、「ジプシー」には「ロマ」以外の民族も含まれている
ので、「ジプシー」という語を機械的に「ロマ」という語に
置き換えるのは問題がある。

ジプシーに分類される諸民族
 〇主にインドが起源と考えられている諸族
 ・ロマ: 北インド・パキスタンに起源を持つインド・
   アーリア人系の移動型民族。
   ロマ語を話し、欧州における「ジプシー」の最大勢力で
   ある。
 ・ロミ: 19世紀に現代のルーマニアに当たる地域で奴隷
   とされたロマニ系の人々。
   独自の文化や慣習を固守し、キング(王様)も存在
   する。    
   ルーマニア、ルーマニア語圏に居住するロマニ系の
   民族。
 ・アッシュカリー、またはエジプシャン: コソボ及び
   その周辺諸国(旧ユーゴスラビア)に居住するロマ系の
   民族。 
 ・ロム (Lom people): 南コーカサス(アルメニア等)
   とアルトヴィン(トルコ)に居住する民族。
   欧州方面へ移動するロマの集団から別れ、11世紀頃の
   当地に留まった人々が先祖と考えられている。
 ・ドム: 主に中東のイスラム圏に居住するインド・
   アーリア人系の民族。
 ・リューリ: 中央アジア及びロシアに居住するドムの
   亜集団。
 ・バンジャラ: インドおよびパキスタンに居住。
 ・スリランカ・ジプシー: スリランカに居住。

 〇インド以外が起源と考えられている諸族。
  イェニシェ、アイリッシュ・トラヴェラー、
  スコティッシュ・トラヴェラー

< ロマ >  Wikipediaより転記
ジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系
に由来し中東欧に居住する移動型民族である。
移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住
生活をする者も多い。

ロマの祖であるロマニ系の人々は複数の経路で度々インド方面
からヨーロッパへ移動してきたと考えられる。
14世紀から19世紀に現代のルーマニアに当たる地域で奴隷と
された集団がルーマニア語の影響を受けたヴラハ系方言を話
し言語学的にロマに近いと考えられている。
一方で東欧を迂回し中欧にたどり着いた集団はルーマニア語
の影響のない非ヴラハ系方言を話していると考えられている。

1971年の第1回世界ロマ会議以降は、よりポリティカリー・
コレクト(性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を
防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用
することを指す)な名称として、多くの集団の自称である
roma「ロマ」を呼称とすることが提唱された。

〇ドイツによる絶滅政策
 第二次世界大戦によりドイツの占領地域が広がると、ドイツ
 は 再び多数のロマを抱えこむことになった。
 当時のドイツ政府が「最終解決策」と呼んだ政策で、ロマは
 ユダヤ人のホロコーストと同様に虐殺の対象とされた。
 これはポライモスと呼ばれている。
 正確な数は不明であるが、戦争中に約50万人のロマが殺害
 されたとされる。
 強制収容所への移送を待たずに現地で殺害されたものも
 多かった。
 ナチス親衛隊特別行動部隊「アインザッツグルッペン」が
 東欧の占領地域に派遣され、ユダヤ人、共産党員、ソ連軍
 捕虜とともに、多数のロマが殺害された。
 ドイツ政府による被害にともなう戦後補償について、現在も
 ロマはユダヤ人より不利な扱いを受けている。

〇戦後のロマ
 第二次世界大戦までの多くのヨーロッパ諸国では、ロマは
 固定した店舗で開業することは禁止されていた。
 このため、伝統的に鍛冶屋、金属加工、工芸品、旅芸人、
 占い師、薬草販売等に従事していた。
 現在も基本的に移動生活を続けているロマは多く、移動手段
 として自動車を用い、これに従い職業も以前の馬の売買
 から、自動車の解体・中古車のあっせんなどに変化してき
 ている。
 1971年にはインド政府と世界教会協議会の支援を受け、
 ヨーロッパ諸国のロマを集めた世界ロマ会議が結成された。

 第二次世界大戦前から1945年までのドイツ政府による迫害に
 よって、ロマの人口は減少した。
 社会主義体制となった東欧とソ連圏では、ロマの労働者化を
 進めるために移動禁止令が制定された(ソ連1956年~
 ポーランド1964年)。
 これらはロマに定住を求める同化政策であり、その後議員と
 なったロマも存在した。
 西欧諸国ではロマへの同化政策は採用されなかったが、国内
 のロマを少数民族とみとめて権利を与えることはなかった。
 例外的に社会主義国のユーゴスラヴィア(1974年)と
 ハンガリー(1979年)が、ロマを少数民族と認定した。
 戦前に比して、安定した生活が保証された、これら社会主義
 国が崩壊し、資本主義国となってからは職を失い、無料の
 住宅や学校がなくなったとして不満を持つロマも少なく
 ない。

 スイスでは、1926年から1972年まで政府の支援を受けた
 民間団体「青少年のために」(de)が1000人以上の子供の
 ロマを親元から誘拐し、施設に収容したり、スイス人の家庭
 へ養子として引き渡したりした。
 ドイツでは1995年に、ドイツ国籍をもつロマを少数民族と
 認定している。
 グローバリゼーションや大量生産大量消費文化(安価な製品
 を使い捨てる消費行動への移行)、情報化社会や物流の高速
 化など、戦後の経済変動のなかでロマの生業は成立しなく
 なり、ロマの経済的な困窮は一段と進んだ。
 テロリズムへの懸念などから国の保安の意識が高まり、国境
 を越えた自由な移動が難しくなり、ロマへ定住化への圧力が
 掛かっている事もあって、伝統的な生活を放棄する者も
 多い。

〇各国のロマ
 欧州連合の行政府・欧州委員会によると、欧州に暮らすロマ
 の人口は推定1000万~1200万人。
 欧州評議会の各国別推計によると、
 ルーマニア185万人、ブルガリア75万人、
 スペイン72万5000人、ハンガリー70万人、
 スロバキア49万人、フランス40万人、
 ギリシャ26万5000人、チェコ22万5000人、
 イタリア14万人など。

〇ルーマニアのロマ問題
 ルーマニアにおけるロマに対しての差別は根深く、結婚、
 就職、就学、転居などありとあらゆる方面にて行われ
 ている。
 しかしその起源はいずれの説も根拠を欠いたものが多く、
 現在でも定説は無い。
 ルーマニア国内のロマ支援組織の多くは19世紀半ばまで約
 600年間続いた奴隷時代にその根源があると主張している。
 それによると『1800年代の法典はロマを「生まれながらの
 奴隷」と規定し、ルーマニアの一般市民との結婚を認め
 なかった。
 そして、奴隷解放後も根深い差別の下でロマの土地所有や
 教育は進まなかった。
 都市周辺部に追いやられたロマは独自の文化や慣習を固守
 する閉鎖的な社会を築き、差別を増幅させる悪循環に
 つながった』とされている。
 その一方で、当時そのような法典が公布及び施行された
 記録が残されておらず、法典自体も見つかっていないため、
 この説は根拠に乏しいとする見解も存在する。
 ロマを「生まれながらの奴隷」と規定した法典はロマ支援
 組織が差別の根拠として捏造したもので、奴隷時代の始まり
 とされる13世紀以前から、既に習慣という形でルーマニア
 でのロマ差別は存在していた、という見解を支持して
 いるルーマニア国外のロマ支援組織やロマ研究者は多い。

 21世紀に入った現在、ルーマニアでのロマ問題は拡大の
 一途をたどっている。
 EU諸国からのロマの強制送還により、ロマ人口が増加
 しているのである。
 ルーマニアにおいて、ロマは自己申告に基づく国勢調査
 では50万人だが、出自を隠している人も含めると150万人
 に達すると言われる。
 ルーマニアの身分証明書には民族記入欄が無いため、
 ロマであることを隠し社会に同化する人も少なくない。
 2002年の調査では、ロマの進学率が極度に低いことが
 明らかになっており、高卒以上は全体の46.8%に対し、
 ロマは6.3%、全く教育を受けていない無就学者の割合は、
 ロマだけで34.3%にも上るのに対し、少数民族を含む
 ルーマニア全体では5.6%にとどまっている。

 これらの問題に対してルーマニア政府は、「国内にロマは
 いないため、ロマに対する差別問題は存在しない」として
 ロマの存在自体を否定している。
 つまり、ルーマニア国内にロマが存在しない以上、ロマに
 対しての差別は存在しえず、ロマ差別はあくまでも
 ルーマニアでは架空の存在でしかない、というのが政府の
 見解となっている。  
 このため、国内におけるロマ問題への対策をルーマニア
 政府は何一つ行っていない。
 さらに、国内外からのロマ対策を要求する声に対しても
 何の反応も示していない。
 この結果、ルーマニアでのロマ問題は解決のめどは立って
 おらず、逆にロマ差別自体がルーマニア人ならびに国家
 ルーマニアとしてのアイデンティティになっていることは
 否定できなくなっている。

 1991年にはブカレスト近郊のボランタン村でロマの家100軒
 が 数百名の暴徒に襲われ、焼き討ちに遭う事件が起きて
 いる。

〇スペインのロマ問題
 スペインではマドリードの郊外ロスフォコス(Los Focos)
 がロマの集住地域となっており、38家族、約200人のロマ
 のバラックが立ち並んでいる。
 このロスフォスコスは麻薬の売人や泥棒の巣窟と目されて
 いる。
 このバラックは、別の地区への移転が計画されたこともある
 が、移転先からの猛反対で計画は頓挫した。

 政府の発表によると、麻薬密売の70パーセントはロマによる
 ものである。
 スペイン国民の26パーセントがロマに悪感情を持っている
 との統計もある。

 1991年にはアンダルシア地方のマンチャレアルでロマによる
 殺人事件をきっかけにロマ追放運動が発生。
 暴徒化したデモ隊がロマの家7軒を襲撃し、家財道具を通り
 に投げ出して家を破壊する事件が起きた。
 このとき、マンチャレアルでは「自分の子をロマの子と一緒
 に 勉強させない運動」「ロマの子を登校させない運動」
 が起きている。

〇フランスのロマ問題
 推定約2万人がフランスに居住。
 多くが、郊外の公共サービスの無い不法キャンプで極貧生活
 を強いられており、しばしば犯罪の増加要因として地域住民
 などから批判される。
 2014年6月13日には、ピエールフィット=シュル=セーヌ
 にて窃盗の疑いをかけられた16歳の少年が集団暴行を受けて
 意識不明の重体となる事件が発生。
 大統領や首相が非難する声明をだしている。

〇アメリカのロマ問題
 アメリカでのロマは大きく分けて3つのグループがある。
 最も早く入植したグループはイングランドから移住した
 ロマニチャルで、テキサス州を中心に8 - 10万人が全米に
 散らばっている。
 イギリス流文化への同化が浸透しており、言語も英語の中に
 ロマニ語の語彙が混ざるという程度である。

 次のグループが1880年代以降にバルカン半島、ハンガリー
 から移住してきたヴラフ系ロマである。
 ロマニ語の新ヴラフ系方言を使い、独自の絶対神信仰を持つ
 とも言われ、全米に50万人以上いると推定されている。
 最大集団であるヴラフ系ロマは強固なアイデンティティを
 持ち、 クンパニアという血縁・地縁による排他的な組織の
 中で生活している。
 福祉給付など行政制度を徹底的に利用する。

 第3のグループはロマニ語方言を話さない東欧系ロマの諸
 集団だが、ヴラフ系ロマからは一括りに「バヤシュ」と
 呼ばれている。

 ヴラフ系ロマ以外のグループは社会に溶け込む術を身につけ
 ており、アイデンティティを秘匿する傾向にある。
 アメリカには100万人のロマがいると推定されているが、
 各グループは相互の接触には消極的、もしくは否定的で
 あり、グループ間の同族意識はない。
Yukiko

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