【ソ連＝ロシアとナチの微妙な関係】
第二次世界大戦中、ナチが現在のポーランドにいくつかのユダヤ人強制収容所（絶滅収容所）を設けて、数百万人のユダヤ人を虐殺したことは広く知られています。
いちばん有名なのはアウシュヴィッツですが、この映画ではソビボル収容所を描いています。
アウシュヴィッツはポーランドとドイツの国境に近いところにあったのですが、このソビボルはワルシャワの南東で、ソ連（ロシア）に近い地域にある村です。
この収容所では収容されていた人々が叛乱を起こし、一部が脱出に成功しました。
本作品はその史実に基づく映画です。
ナチの残虐非道や（ユダヤ人の持っていた宝石や高級衣類を奪うなどの）下劣さはこれでもかというほどに描かれています。
他方、脱出を試みるユダヤ人側の事情は映画を見ていて、少なくとも現代日本人からは分かりにくいところがある。
主人公はサーシャというロシア人の男で、ユダヤ人でもある。
作中、ミンスク（ソ連＝ロシアの都市）にいたと彼は言っているのですが、これはソ連の軍人としてナチ・ドイツと戦っていた彼が捕虜になり、いったん某捕虜収容所に入れられたものの、その後ユダヤ人と判明してミンスクの収容所に送られたことを言っています。彼はそこからさらに、本作品の舞台であるソビボル収容所に送られたわけです。
以上は作品パンフレットを読んで分かったこと。
ちなみに作品パンフレットには芝健介氏（東京女子大名誉教授）の懇切な解説もついていて、色々と教えられました。（映画のパンフレットがいつも示唆に富むわけではないし、パンフに執筆している学者の解説がいつもちゃんとしているとは限らない、という事実をふまえて言っています。）
いずれにせよ、ソビボル収容所の実態と脱走事件を描いた映画として、一見の価値はありましょう。
以上を前提とした上で、この映画が現代のロシアで作られ、人気を博し、賞も獲得したということの意味についてちょっとだけ。
ロシア＝ソ連からすれば、第二次大戦中のドイツとの戦いは、独ソ不可侵条約を破って一方的にナチ・ドイツがソ連に侵攻してきたために始まったのだから、悪いのはあちらだ、ということになる。また、この映画が描いているように、ソ連の軍人（ユダヤ人でもある）が収容所から囚人が脱出するのを指導したのは英雄的な行為だということになる（というか、事実としてそうなのですが）。
たしかにそのとおりなのです。が・・・
もう少し大局的に見るとどうでしょうか。
ヨーロッパでの第二次世界大戦は、ナチ・ドイツがポーランドに侵攻し、英国とフランスがこれを理由としてドイツに宣戦布告したところから始まっています。
しかし、ドイツがポーランドに侵攻して占領した地域はポーランドの半分でしかなかった。
残り半分は、直後にソ連がポーランドに侵攻して占領しています。
これは、独ソ不可侵条約の秘密議定書で決められたことでした。
つまり、ポーランドからすればナチ・ドイツもソ連も同罪です。
ところが、それからしばらくしてドイツとソ連が戦争を始め、ソ連は連合国側ということになったので、そして第二次大戦では連合国が勝利したので、ドイツのポーランド侵略は悪いことだが、ソ連の侵略は悪くない、ということになってしまったのです。
事実、その後ポーランドは形の上では独立国となりますが、長らくソ連のくびきの下で苦しむことになりました。
しかし20世紀も終わり近く、ソ連は解体してしまいます。
ソ連以外の共産主義国家（今なら中国や北朝鮮など）の実態も明らかになっている。
そうなると、「ソ連＝連合国＝正義の味方」という図式は大きく揺らぐことになる。
事実、最近のヨーロッパではこの点での見直しが進んでおり、ナチ＝ドイツはたしかに悪だが、ソ連の共産主義も周辺の国家や民族に多大の悪をなしたということが事実として認定されるようになっています。
つまり、「ソ連＝連合国＝正義の味方」という図式は、ヨーロッパでは破綻しているのです。
以上のような動きに最も強く反発しているのが、他でもない、ロシアなのです。
ロシアはソ連の後継国家であり、第二次大戦ではオレは正義の味方だったんだ、という建前を維持しているからです。
以上のような最近の動向を背景にしてこの映画を鑑賞するなら、この映画がロシア主導で作られ、ロシアで高く評価されたことの意味が見えてくるのではないでしょうか。
そして、ロシアがウクライナに侵攻している現在、プーチンがウクライナ側をナチになぞらえているのは、なぜかということも。つまり実際にはプーチンのやっていることのほうがヒトラーに似ているわけですけど、そう言われるより前に、敵をヒトラーよばわりしなければならない心理的な事情がロシアにはあるのです。第二次世界大戦の初期にはナチ・ドイツとソ連＝ロシアは仲間だったという厳然たる歴史があるわけですから。
