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オオカミの皮をまとう男のkuuのレビュー・感想・評価

オオカミの皮をまとう男(2017年製作の映画)
3.8
『オオカミの皮をまとう男』
原題 Bajo la piel de lobo
製作年 2018年。上映時間 110分。
サム・フエンテス監督によるスペインドラマ映画。
主演はマリオ・カサス、イレーネ・エスコラール、ルース・ディアス。

スペイン北部の山奥で狩りをして暮らす男が一人。
彼はオオカミの毛皮を町で売って生計をたてていたが、町民の一人の勧めで嫁をもらうことにするのだった。。。

オオカミの皮をまとったビースト!!
まさに!!
今作品は息をのむよな作品でした。
そのひとつは、20世紀初頭のスペインの山岳地帯を舞台にしている。
脚本家であり監督でもあるサム・フエンテス監督は、孤独を和らげる妻を求める逞しい動物毛皮の捕獲男(オオカミの皮をまとった)マルティノン(マリオ・カサス)の閉所恐怖症的な物語を紡ぎ出す。
なんて大事件があるでない、いや、彼の人生は普通に暮らす人々にとっては大事件かもしれない。
映画は苦痛と孤独に支配され、カメラは常に暗くタイトなアングルで、粗い木製の壁、錆びた罠、そびえ立つ木々のどれから来るものであれ、鈍い恐怖を印象づける。
マルティノンが皮をそぐ肉のように、今作品には妙に美しさの核となる生々しさがある。 しかし、その生々しさが功を奏していることも多い。
今作品は冬の森のパンショットで始まり、その広大さを冷ややかで中立的な無関心さで表現する。
それから15分あまり、マルティノンを追いかけ、彼の日課に慣れる。
彼は狩りをし、料理をし、水を汲み、物資を修理し、狭い小屋か空っぽの洞窟に住む。
この間、マルティノンは言葉を発しない。
無口なジェイソン・モモアってとこかな。
その代わり、荒野の物音がシーンを満たす。
彼のブーツは雪を踏みしめ、不機嫌そうな顔の横で焚き火が唸る。
遠くの鳥の鳴き声に繰り返しになりかねないものが、ここではマルティノンの孤独を視覚的に伝え、逃れられないものに感じさせる。
日が暖かくなると、マルティノンは毛皮を売りに近くの町へ出かける。
地元の酒場で、酒場の主人は彼に恋人を見つけることを思いつく。
マルティノンは最初、冬は厳しすぎるし、女を手なずけるのは難しいと云い、彼を拒絶した。
しかし、地元の女パスクアラ(ルース・ディアス)と情欲的なセックスをした後、マルティノンは考えを改める。
マルティノンがパスクアラの父ウバルドに結婚の許しを請うシーンを、フエンテスはウバルドの家の外から撮影している。
二人と、隣の部屋にいる家族連れのパスクアラが、まるで糸で操られた人形のように擬態して会話しているのが窓越しに見える。
パスクアラは長くは生きられなかった。
彼女は子を死産した後、病気で死んでしまう。
マルティノンは町に戻り、彼女の父親と対決し、パスクアラが病気で妊娠していることを事前に知っていたと非難する。
ウバルドは、マルティノンに末娘のアデラ(イレーネ・エスコラール)を差し出す。
彼女は凍りついたまま、彼に体を調べられ、回転させられ、顎を持ち上げられ、唇を引っ張られる。
ここから物語は山に戻る。
切り刻む、食べる、削る、滑らかにする、縫う、掘る。。。
セリフも筋書きもほとんどなく、すべてが長引き始める。
まだ雰囲気はあるが、単調な雰囲気と云える。
すべてが不毛で地獄のようで、その残酷さ以上に多くを語らない強烈なイメージを作り出している。
観てる側の同情は徐々に過酷な地で暮らし続けてるマルティノンからアデラに移っていく。
マルティノンは引きこもりがちな生活を送っているため、まともな人付き合いができない。
不機嫌で無口。
彼はアデラに自分を押しつけ、うなり声を上げる。
彼女の寝室の窓の鉄格子は、まるで牢獄の鉄格子のよう。
マルティノンはアデラと一緒にいることに解放を見出すのではなく、まるでアデラが理解できるように、自分の苦しみを伝えるかのように、アデラと一緒に彼女をまるで監禁するように生活を送る。
カメラは泣いてるアデラの頭の周りを回り、草むらに立ち、憧れのように遠くを見つめる。
その間、フエンテス監督はキリストのイメージで映画を彩る。
ウバルドの家には十字架がある。
マルティノンはパスクーラの死後、墓地に飛び込み、怒って十字架の束を蹴り倒す。
茶色の長い髪と髭を蓄えたマルティノン自身も、どことなくイエスに似てはなくはない。
このサブテキストが何を想起させるのかは不明やけど。
もしかしたら、マルティノンの置かれている状況は、ある種の神罰なのかもしれない。
まるでシーシュポスのように。
彼が自分の状況を変えようとすることが運命を狂わせ、不幸を引き起こしているのかもしれない。 フエンテス監督はこのような暗示をあまり使っておらず、単なる文体の装飾にしか見えない。
フエンテス監督のデビュー作には見所が多い。
巧みな演技と目を見張るような映像は、観る価値のある作品にするのに十分。
しかし、そのスタイルに裏打ちされた本質があるかどうかは議論の余地がある。
深遠な意味を探しすぎると、足取りはおぼつかなくなるのが今作品かな。
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