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ハイ・ライフのkuuのレビュー・感想・評価

ハイ・ライフ(2018年製作の映画)
3.7
『ハイ・ライフ 』
原題 High Life.
映倫区分 PG12
製作年 2018年。上映時間 113分。
フランスの巨匠クレール・ドゥニが描いたドイツ・フランス・イギリス・ポーランド・アメリカ合作SFスリラー。
出演は『トワイライト』シリーズちゅうより『THE BATMAN-ザ・バットマン-』かな?のロバート・パティンソン主演。
ジュリエット・ビノシュ、ミア・ゴス共演。

太陽系を遥かに超えて宇宙へと突き進む宇宙船『7』には、モンテや幼なじみの少女ボイジーら9人の元死刑囚がクルーとして乗り込んでいた。彼らは極刑の免除と引き換えに、同乗する女性科学者ディブスが指揮する実験に参加することになったのだ。やがて、目標地であるブラックホールが少しずつ迫り。。。

バラバラな物語を特徴とする今作品のプロットは、意図的に徐々に、髪の毛の束のように断片的に展開される。
今作品は、ストーリーを伝えるために全体を十分に構成している、バラバラのイメージのごちゃごちゃしたシーケンスと同じように見える。
レール・ドゥニとしては少し大胆なアプローチであり、観てる側に対しても挑戦的やけど、少なくとも関心を惹き付ける。
時に理解が難しく、必ずしも完全に満足できるものじゃないけど、今作品に独特の魅力を感じています。
シーンライティングは強力やと思います。
その場その場の段取りは別として、物語の一転一転が、焼け付くような心理的劣化、あるいは堕落のような、奇妙で不穏な事例として迎えてくれるよう。
また、想像してたんよりも性的な内容が強調されてたし、実験と執着の境界線が曖昧になっていることから、サイコセクシャルって表現したほうがいいかもしれへん。
今作品の全体に広がる暴力は、深く個人的なものであり、乱れた心を反映し、明らかに耳障りなものであるが、行為そのものを消し、関係者の心の状態を際立たせるように表現されている。
今作品が目指しているのは、並外れた繊細なバランスなんやろな。
その目的にどれだけ成功しているかは分からないけど、そうでないよりは確実に成功しているかな。
幻想的なシンセサイザーを多用した音楽は、かなり雰囲気を醸し出してたし、最も力強い場面では、衝撃的なギターの炸裂で強化される。
ステュアート・A・ステイプルズの曲はある意味、キャストの演技と呼応していた。
静かな激しさが支配的でありながら、適切な瞬間に鮮やかな衝撃を与えてました。
音色と同じように、集まった俳優たちの演技は意識的に抑えられ、コントロールされているけど、それにもかかわらず、感情や考え方のあらゆるニュアンスを見事に表現している。
ロバート・パティンソンの作風はこの辺りからスタートしてんのかな。
今作品での彼の演技にはむしろ出来上がってるし感心した。
ジュリエット・ビノシュもその一人で、これまで見た中で最も生き生きとした熱のこもった演技をしていた。
個人的にはすべての脇役たちが素晴らしい能力を発揮していると思います。
今作品は静かに始まり、曖昧でオープンエンドな終わり方をしている。
また、今作品には余計な要素がなく、脚本にも物語に不可欠でないものは何も含まれていない。
序盤に登場するスカーレット・リンジーが演じる?赤ちゃんウィローでさえ、この物語にとって重要な存在やと思う。
余談ながらロバート・パティンソンは、この赤ん坊を演じる生後13ヶ月のスカーレット・リンジーをすでに知っていたそうです。
彼女は、彼の長年の友人であるミュージシャン、サム・ブラッドリーの娘で、ロンドンで学生時代を一緒に過ごしたことから知ってる。
今作品、強力な心理ドラマ、衝撃的な瞬間、優れた映像、効果、技術、素晴らしい演技、大胆な脚本、緊密な演出、それらすべてに対して好奇心をそそる作品でした。 
SFというジャンルにぴったり当てはまるが、タルコフスキーの『ソラリス』やソダーバーグのリメイク版よりも芸術映画であり、『2001』よりもさらに芸術映画であると云えるかな。
これは、思いがけず暗いアイデアを丁寧に描き、高尚で、おそらく気取った探求をしており、A24の作品の少なからぬ部分と同様に、非常にニッチな観客のために作られていることは確かかな。
(ニッチって言葉使いたかった✌️)
結局のとこ、最小限の予備知識しか持たず、何の期待もせずに観たんですが、結果オーライで嬉しい驚きを得ましま。
この題材、控えめな映像、そして、性的暴行と動物虐待に関する注意書きなど、今作品は決して万人向けではないが、最も特殊で下品なジャンルの作品を受け入れられるなら、この作品に好感を持つかもしれない。
しかし、もしそのようなことに耐えられるのであれば見てみる価値のある、魅力的な映画だと思う。

徒然に。。。
これよりネタバレに触れてますのでお読みの際はご注意を。

クレア・ドゥニは、映画の最後に登場する映像は、オラファー・エリアソン(芸術家)が発明したブラックホールの特異点を表す黄色い水平線の光について(ブラックホールや銀河から貝殻やDNAのらせん構造にまで見られる自然の形状を想起させる)、
『私が最も影響を受けたのは、オラファー・エリアソンの黄金色の黄色い光です。
それは、ブラックホールの中を見たときに見えるものです。
人間の肌がこの光の中にあると、色が抜けてブロンズになるんです。
それは、ほとんど臨床的な変化です。
エンドショットはデジタルではなく、真っ白になったところです。
これは、映画の他の部分、つまり囚人たちの赤っぽい制服と対照的です。
これは、純潔、征服、栄光を示唆する光沢のある白さを持つ、通常のSFに反するものです。
私は、より暗い色合い、つまり影が欲しかったのです。』
と述べ、映画の参考にしたらしい。
今作品の独特な終わりかた。
小生はこのエンドショット映像を観てブルッた。
何故なら、小生は坐禅を十年あまり毎日欠かさずしてた時期がある。
今は、
人ってのは『悟る』事など出来ない!
と悟って止めた。(これが愚かなのか)
でも、坐禅を組み6年余りが過ぎた頃、薄目で入ってくる光が、今作品ラストと良く似ていた。
人は目に光が入ると、光は水晶体を通って進み、網膜の上で像を作る。
これを視神経が感じ取って、脳に伝えることで、『見える』。
光源から出た光が物にあたり、反射した光を目が受け止めているからやそうだ。
なら、坐禅を組もうが何しようが、目が正常なら、半眼に見えるのも当然、辺りの『光景のみ』やけど、坐禅を組み(毎回ではないが)暫くしたら目に見えてたものの中で明るい色が段々と視界の全面に広がり、徐々に小さくなって点になった。
それをもう少し進めると、点が線になり、点が太くなり、視界の全面に広がる。
それを繰り返す。
こないな光景は、科学若しくは眼科医学で説明がつくのかもしれないが、小生には不思議な気持ちと死への恐れのような感じがして、
それを見た?と云うべきか、感じた?と云うべきかした時はとても疲れはてた。
ただ、不思議な光景ご見えなかった時は、リフレッシュ出来て坐禅も悪くないなぁなんて思うが、それが見えたらかなり精根尽きる。
何度も繰り返す射精のように(失礼)。
これも坐禅を止めた理由のひとにでもある。
兎に角、クレア・ドゥニ監督は小生の持つ体験を映像化にしてくれたのはとても嬉しい。
坐禅で見た光景を説明することが容易になった。
感謝!!
kuu

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