小松屋たから

屍人荘の殺人の小松屋たからのレビュー・感想・評価

屍人荘の殺人(2019年製作の映画)
3.1
連続ドラマの完結編を映画で、というケースはよくあるが、本作は「連続ドラマ」部分がなく、いきなり現れた知らない人たちの過去や背景をざっくりと説明されただけで彼らに想いを寄せろ、と言われる感じなので、この世界にずどんと入り込むことはできなかった。

具体的には、「ワトソン」役である葉村と明智のこれまでの活動や信頼関係が極めて簡単にしか描かれないので、いくら葉村が明智に心を寄せる発言をしても感情移入することは難しく、ヒロインも、おそらくいつも妙な事件を引き寄せてしまう特異体質の女性なのだろうということは察せられるが、それもほぼセリフだけでしか示されないので、単に変人キャラクターをさせられているようにしか見えなかった。原作を読んでいれば、もっと色々わかったのかもしれないが、映画単体として商業公開している以上、そこは劇場だけで完結して欲しいところ。

また、せっかくの斬新かつ荒唐無稽な設定なのだから、延々とセリフと挿入、回想場面で続く謎解きシーンはむしろ必要ないのではないかとさえ思った。

「怪奇現象+コメディ+謎解き」の路線では、本作と脚本家は同じでメイン監督は師匠筋である「トリック」シリーズの面白さはやっぱり格別だったと再認識。

「トリック」の主要登場人物たちは、それぞれ、他人からみれば大したことが無いのに、本人たちにとってはとても深刻、というあるコンプレックスを抱えていて、それが随所に物語に良いスパイスを効かせていた。扱っている怪奇現象も基本は「人間の企み」であることがほとんどであるところに超自然現象の影を感じさせるという絶妙な塩梅で構成されており、独特のカット割り、セリフ、効果音と相まって、日本のドラマ、映画では類を見ない特別な世界観が創られていた。

本作では、世界中の映画監督が使いたがるあの存在を匂わせるだけでなく、本当に登場させてしまっているので、「トリック」よりも完全にファンタジーとなっていて、それはそれで良いのだが、それゆえの舞台設定の粗ばかりが目立ち「特別な世界観」構築にまでは至らなかったと思う。

本作は長く続くシリーズ化を狙っていて、ドラマや映画で続編を作る目論見があるのかもしれないが、その場合は、まずは「エピソード0」から始めて、前提をしっかりと見せた方が良いのではないだろうか。

あ、でも、今、書きながら気づいたけれど、実は製作サイドには今回は映画先行、ヒットすれば、前日譚や続編はテレビか配信で、という戦略がすでにあって、自分はその掌の上で転がされているだけなのかも…