たかくらかずき

ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネスのたかくらかずきのレビュー・感想・評価

4.0
2度目を鑑賞。基本的には非常に楽しめました。しかしながら、だからこそとても惜しい作品だし、ちょっと残念な気持ちにもなる作品でした。
1度目に感じた『感覚の古さ』はやはり二度見ても変わらずでした。この面白さは『馴染みの感覚、既知の快楽を摂取する楽しさ』なのだということです。ただの楽しさで言えば最高だけど、だからこそMCUが進めてきたものを少し後退させてしまったようにも感じたのです。(なぜか敬語)

■ホラーの三原則との相性
2回鑑賞しまず理解したことはホラー映画というもののメソッドとMCUの追求してきたメソッドが徹底的に食い違っている、ということで、ホラーの大前提として3つのルールがあるなと思っていて、
1.主人公たちが愚か(恐怖を体験させるためにはしくじらないといけないので)
2.唐突なアクシデント(恐怖とは理解不能なものなので)
3.ヴィランにとって好都合な不条理(なぜ、どこから恐怖の存在が現れたか全く説明できないことが多い)
これら3つのルールとMCUの追求してきたリアリティ、整合性、人間ドラマの充実は非常に相性が悪いがゆえ、チャペスはなかなか檻の鍵を開けられず、ワンダはよくわからない理由で色々な壁を突破し、ストレンジは全くスマートでない選択をしてミスりまくる。これらの描写はホラー的には大正解なのだけど、いままで積み上げてきたキャラクターのパーソナリティとはかなりズレまくるという結果に至った。それゆえの違和感はデカかった。

■良いところ・テーマ
とはいえ、面白いところもたくさんあり、ストレンジの全体的なモチーフである『生と死の境界線を超える』概念を前回は東洋思想的、霊魂的な描写で説明したが、今回はかなり西洋的、ゾンビ的解釈で生と死の世界の越境を試みている。禅的なエキゾチズムの解釈はかなり減って、ゴス的、クトゥルフ的なミステリアスな世界観になっているが、肉体からの解脱、生死の越境というテーマは一貫している。この演出はとても素敵だった。

『ゾンビストレンジ』『悪い呪いを味方につける』『クリーチャーとの戦闘』など想像力に富んだシーンがたくさんあり、またワンダとの最初のシーンなどの怪しい雰囲気の会話パートも素晴らしい。グラインドハウスばりのイルミナティ達の『死に芸』も見事。映像の面白さは随一のもので、"サイコ""マトリックス""キャリー"などのオマージュも楽しいし映画通を唸らせるようによく作られている。だからこそセンスや価値観が現代のものとすっかりズレてしまっているところがとても残念だった。

■問題
・行動理念、心理描写がざっくりしすぎている(前述のホラーメソッドゆえだが)
・ラストの勧善懲悪なジャンプ的展開、『幸せか?』『自分を信じろ』などのオールドスタイルで空虚な台詞回し、ピザ売りを殴り続けるブラックジョークなど、時代錯誤な感覚が否めない
・典型的な『魔女を罰する物語』。孤独や弱者や人生の間違いに寄り添う心はどこに…
・あまりに音楽がずっとなりっぱなしすぎる
・エンドロールのグラフィックが古い!ロールシャッハのグラフィックむしろ久しぶりに見た
・3つめの世界でインカージョンが起きているのはなぜ?チャペスがピザを食べる時に『腹壊すぞ』と言ったのはなぜ?イルミナティはワンダのこと軽視していたのはなぜ?音楽バトルはどういう能力の使い方?などのツッコミどころの多さ。

結局のところ僕にとっては『今までのMCUの世界観をぶち壊してくれる痛快策』ではなく、『ヒーロー映画そのものの進歩を巻き戻してしまうノスタルジー作品』という印象でした。ただ、娯楽として最高に面白いので、非常に難しい作品だな、と思います。

■what if..? もし違うMoMだったら
ここからはもし俺がこの映画をいじれるならこうするぞ!のコーナー(いよいよオタクっぽくなってきたぜ)

①ワンダがなぜ悪役に落ちたのかというドラマをもっと丁寧に描く。ワンダビジョンで描かれたように、ワンダは一度間違いに気づいて世界を通常に戻している。そのあとまた悪役に落ちるには唐突すぎるし同じことの繰り返しになってしまうため、転落のカタルシスにはドラマ的説明が必要。15分くらい必要。(ダークホールド=悪と言う理由だけでは腑に落ちない。指輪物語ですら指輪の誘惑には時間がかかる訳だし…)

②マルチバースのワンダと入れ替わってしまうなどの演出を活用し、別次元のワンダと協力関係を結ぶ。向こう側のワンダはただ傍観しているだけだったけど、さて彼女はそういうキャラクターだっただろうか?本を破壊した時にワンダ同士が入れ替わってしまうなんて演出を入れたら面白かったのでは。

③ワンダの散り方に『救い』が必要。幸せを願っていた子どもたちに怖がられるなど、あまりに救いのないラストだったので、マルチバースの子どもたちの危機を救って散るなどの展開が必要だったのではないか。

④ヴィランは『マルチバースのストレンジ』でよかったのではないか?そもそもこの映画は『ドクター・ストレンジ』であり、今回のテーマも彼の自分よがりなパーソナリティの問題が大きく取り上げられていた。(それってそんなに大きく取り上げるテーマになるかな?思春期のスパイダーマンじゃないんだからさ…と思いつつ…)だとしたら、ヴィランは『自分』のほうがよりしっくりきたんではないか?ワンダがヴィランってのはサプライズなのは承知の上だが、予告通りヴィランが『マルチバースの自分』でかつ『What ifでウォッチャーとともにとりのこされた個体』とかだったら最高だったのではと個人的には思ったりした。

というように、見た後いろんな(もし脚本がこうだったらなー的な)マルチバースの想像までさせてくれるこの作品もしかしてそこまで想定済みの作品なのか!?だとしたらすごいな…!こんだけ語れるんだから楽しんだよ!
たかくらかずき

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