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Unplanned(原題)のGreenTのレビュー・感想・評価

Unplanned(原題)(2019年製作の映画)
1.0
これを観ると、「赤ちゃんが可哀想」と感情的になって中絶の是非を語るものではないなと思う。

主人公のアビーは、大学生のときに “Planned Parenthood” (計画出産)という名前の中絶クリニックのボランティアを始め、そこから一気にマネージャーまで登りつめる。しかし本社が女性の権利を守るのではなく、中絶でお金を稼ごうとしていることを知って幻滅し、中絶反対グループに寝返る。

アビー・ジョンソンという人の書いた回想録が原作らしく、アビーが中絶クリニックで目撃したことがたくさん出てきます。例えば、あまり日数が経っていなかったら、薬を飲むだけで中絶できるんだけど、それが実はすごい苦痛や副作用を伴うとか、中絶をする医者がやたらと患者や胎児を無慈悲に扱うとか、問題があったことを隠そうとして患者を危険に晒したりとか、堕胎後の胎児の身体の一部が母親の体内に残っているといけないから、堕胎後の胎児の身体が全部揃っているか確かめなければならないとか、赤裸々に描かれます。

そして、Planned Parenthoodは、女性を助ける非営利団体で、中絶は最後の手段、本来の目的はセックスに関する正しい情報を女性に教え、中絶を減らしていくことだ、とアビーは教えられるのですが、実は「非営利団体であることは税金逃れ。中絶が一番儲かるから、中絶をもっとすすめろ」と言われて、アビーは幻滅する、という話になっています。

これはハッキリ「アンチ中絶映画」と言われているんですけど、なぜこれを観て中絶の是非を問えるのか、全くわからないと思った。だって、これはこの「非営利団体」の内情がヒドいだけであって、これが事実なんだとしたら、もっと女性が安心して中絶できる病院を作るべきで、「だから中絶は良くない!」という理由にはならない。

中絶クリニックが実際どうなのかは知らないけど、この映画で描かれる問題は、「特に悪いものを取り上げた」という印象がある。「薬の中絶は楽ですよ」って言われたのにひどい目にあったっていうのも、こういう薬は合う、合わないがあるし、普通の医者でも「仕事」としてやっているだけの医者なんてたくさんいる。『聖なる鹿殺し』を観れば分かる。胎児の身体の破片を確認しなくちゃいけないというのは、残酷だけど、医療というのはそういうものだと思う。

それに、アビーがアンチ中絶側に寝返った理由が、ご都合主義だと思う。彼女はクリニックで長く働いていたけど、一度も中絶手術を観たことがなく、初めて手術を観たときに、その残酷さに涙が止まらず、その脚でアンチ中絶グループのところに駆け込んで、「私にはもうできない」と号泣する。

しかし、中絶手術を目撃する前に、組織の中で上司に逆らったと責められたり、中絶をしていた医者がアンチ中絶の人に殺されるニュースを見たりして、「赤ちゃんが可哀想」と思う前に自分の会社に対する不満とか、自分の身の危険を感じた、という要因がある。

それに、なぜPro-Choice(選択する権利)対 Pro-Life(命を尊重する)という2択しかないのだろう?中絶は善なのか、悪なのか、という考え方が私には出来ない。

しかし、クリスチャンの人たちは、中絶は本気で殺人だと信じている。私はご近所さんにクリスチャンの人がいて、この人は中絶は人殺しだと泣いていた。この人はアビーと同じで、酒は飲むは悪い言葉は使うわ、特に敬虔なクリスチャンと言うわけではないが、こと中絶に対しては全く理解を示さない。

彼女は、友達が避妊もせず、妊娠したら中絶すればいいって考えで、何度も中絶して信じられないと言うんだけど、それは極端な例ではないか?

普通は、避妊したけどできちゃったとか、レイプされたとか、だって、胎児を可哀想と思わなくたって、女性の身体にだって負担なのだ。「中絶すればいいや」なんてお気楽に思っている女なんてほとんどいないと思うし、自分の体内に宿った命を消すことに、全く罪悪感がない人なんてほとんどいないと思う。

望まれずに生まれてきた子はどうするの?と訊くと、里親に出せばいいという。

それもどうなの?と思う。生んでも責任取れないなら、自分で命を処分したという業を背負って生きていく方が潔良いのではないか?

これはリサイクルと同じ「欺瞞」だと思う。必要ないものをたくさん買って、でも捨てるのはもったいないから、リサイクルに寄付するけど、リサイクルすることによって「私はいいことをした」と思いたいだけで、結局は「ゴミ」を人に上げているだけだ。本当にものを大事にしたいなら買わなければいいし、捨てるときは罪悪感を感じるべきだ。

中絶も同じで、本当にそれが悲劇だと思うなら、子供を作る以外のセックスをさせない倫理を築くべきだと思う。映画の中でアンチ中絶のグループが、中絶クリニックに来る女性たちにぎゃあぎゃあ「悪いと思わないの?他にも道はあるのよ!」なんて罪悪感を植え付けるプロテストをしているけど、それは問題解決にならないし、中絶OK側も、避妊の仕方を教えるのもいいけど、双方とも本質を突いた活動はしていないのではないか?

それは、賛成側も反対側も、自分たちの主義主張を正当化するための「ポリティクス」の道具として中絶を使っているだけだからPro-Choice と Pro-Life の2択しかないんだろうな。本当に女性の権利や赤ちゃんの命の尊さを考えたら、「どっちに付く?!」なんていう単純な問題じゃないと思う。

ちなみにこの映画は、映画としてはテレビの再現フィルムくらいのレベルの映画なので、「アート」として楽しめる映画ではありません。こういう問題に興味があったら観てみるのもいいかと思いますが、私としてはそれほど深く本質に切り込んではいなくて、感情的な映画だなと思いました。
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