小松屋たから

9人の翻訳家 囚われたベストセラーの小松屋たからのレビュー・感想・評価

4.0
「ダ・ヴィンチ・コード」4作目の出版の際に一カ所に翻訳者たちを隔離したことが元ネタとか。確かに大作映画本編が劇場公開より先に流出して脅迫騒ぎになったり、iPhoneの新モデルのデザインが暴露サイトに漏れたり、ということは実際に起こっているわけで、だから本作も決して荒唐無稽な設定とは言えず、デジタル、IT技術の進化による著作権侵害拡大との闘いという、今、世界中のコンテンツ業界が抱えている大変深刻な問題をミステリー仕立てで提示していくというアイディアは秀逸だ。

日本の主な劇場では「映画泥棒」という何年も変わらないのんきなPR動画が本編開始直前に流されて、「あれを観ると映画に向き合う気持ちが萎える」という意見もよく聞くのだけれど(笑)、製作者が正当な利益が得られなくなることは、その産業の衰退に確実に繋がっていくので、あの動画の好き嫌いはともかくも、間違った行為は本当にやめるべきだと思う。

また、翻訳、という作業が、単に言葉を言葉に置き換えていくのではなく、国家情勢や訳者個人の抱えているプライベートな事情、精神状態などが反映される非常にセンシティブな作業である、ということにも今更ながら気づかされた。そして、社長の眼前で彼のわからない言葉で作戦を練り罵りあうなど、「翻訳者」たちならではの闘い方も楽しい。

一癖も二癖もある翻訳家たちの背景がもっとわかればより深みを増した人間ドラマになって、映画の密度も増しただろうが、そこは、制作サイドはビジネスを優先して、105分前後の尺に収めたのだろうか。

作中では、文学とビジネスの相克が描かれるが、人に読まれてこその小説、観られてこその映画なのか、それとも個人の心情の発露として自己完結した作品こそが純粋で尊いのか、これはきっと永遠のテーマで、小説と映画でも事情は異なるし、結論はきっと誰にも出せないだろう。

ただ、この約105分という、劇場も嬉しいユーザーフレンドリーな尺が、映画とアート性の融和点、ビジネスとの妥協点を体現しているようで、内容とリンクしているところが面白い。

例えば邦画で、内容は?な作品が大ヒットすることも多いが、それがあるから、若いスタッフは食べて行けるし、制作サイドにも将来の映画や人材に投資する余裕が生まれる。そう考えれば、この作品の「悪役」の普段の考え方も決して間違いとは言えず、単純な金の亡者的な描き方は残念だったし、「真犯人」の行動にもなぜわざわざそれを?というような疑問点はいくつか残ったが、業界の狂気と苦悩をさらけ出しつつエンタメに徹した快作ミステリーだった。