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燃ゆる女の肖像のEDENのネタバレレビュー・内容・結末

燃ゆる女の肖像(2019年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

02/24/2020

Céline Sciamma did it again.

セリーヌ・シアマは、ミア・ハンセン=ラブと並んで私の最も好きな映画監督の1人。過去3作品も全て最高だ。

グザヴィエ・ドランがインスタグラムで絶賛していたのもあって本当に観るのが待ちきれなかったこの作品。



素晴らしかった…

セリーヌ・シアマは、constrainからパンっと外に出されてしまう欲望を描くのに本当に卓出している。「ガールフッド」で妹がVicの背中から腕を回すところ、vicと青年の手が触れ合うところ、「水の中のつぼみ」で水の中に飛び込むところ…

今回も素晴らしかった。特に、焚き火のシーンでHéloïseの腕を掴んだMarianneのカットから、海辺のカットに切り替わるところ。そのあとのキス。Marianneが最後家を出るときにHéloïseにするハグ。顔なんてみれないし、長いハグはできない。Héloïseの母親が真隣にいるから絶対に自分の感情をみせることはできない。そこで自分自身を引きちぎるようにしてHéloïseの身体から離れたMarianne。素晴らしいシーンだと思う。セリーヌ・シアマの映画には、こうやって「息をのむ」瞬間が切り取られている。

脚本賞を撮ったのも納得。特に、freedom is being alone ? I’ll find out tomorrow. で、I felt freedom (or solitude ?), but I felt your absence as well. そう、1人であり自由を感じるからこそ他者の存在/不在を認識するのである。
あとは、笑うためにはtwo people が必要だ、というHéloïseの母の言葉。


そして、「描く」「描かれる」ということ。常に「描かれる」対象であった、オブジェクトであったHéloïse。「あなたは恥ずかしがるとき唇を噛む」「あなたは〇〇のとき〇〇する」、とHéloïseに対して「見られる」側としての言葉をMarianneが羅列したとき、HéloïseもMarianneに対して同じことをする。「私から見たあなたはこうよ」と。それは、Héloïseが「見る」側であることを示したというのはもちろんあると思うけど、それよりもMarianneもHéloïseから「見られる」側でもあるんだということを彼女に知らせるため、知ってもうためだったようにおもえる。


その前に、Marianneが1枚目として描いた肖像画をみたときにHéloïseが「これがあなたの目に映る私?」ときくのもよい。angerが前にくる、と話すHéloïse。
それなのに、描かれた絵は「少女的」な柔らかい微笑みのHéloïse。これがまた確実にHéloïseなのに、Héloïseでは全くない、というところが凄い。それは、彼女の怒りや主体性が消しさられた、「周りがみたいHéloïseとしての画」だったから。


「肖像画」には、描き手が描かれる側をどうみているかや、描き手と描かれる側の関係性も現れる。この映画をみてからだと今まで美術館で横目に流し見していた肖像画への見方が変わるな。それはすごくIntimateで、どれだけリサーチしてもしても完全にはわからないものだから。


一番最初、水に落ちたキャンバスを拾うために長くて重いスカートのまま水に飛び込むシーンも、Marianneの性格を表していたように思う。



音楽を聴くためにmassに行くHéloïse。


Marianneがピアノを弾く、と言った時Héloïseは、Is it merry ? と聞く。それに対してMarianneは、It’s not merry but it’s lively. という。

そして、最後。息を止めたし、観ているこっちも動悸を抑えられなくなったよね。どういう風に終わるんだろう、と観ているときずっと思っていたけど、まさかこんな終わり方が存在するとはね、可能だったとはね。展覧会で、「Turn around」の絵みせるところから、ああ、まじかよ…(いい意味で)と思ったけど、そのあとの28ページで更に「やられた…」となり、そして最後のI saw her. She didn’t see me. で、あの音楽……傑作すぎる。

音楽といえば、あの焚き火を囲って女性たちが歌うシーン、あれほどempowering なシーンは未だかつて存在しただろうか。


これほど自分の内部で燃え上がるような感情や欲望を感じる映画はそうそうない。


こないだちょうどポッドキャストで、社会では”women”が自分のdesireではなく、menから”desired”、つまり自分の欲望ではなく欲望される対象であるかどうかで自分の存在の価値をはかるようにされている、という話を再生していたので、”主体としての”desire”について考えた。

あと、中絶について。my body my choice. (薬を入れられているシーンの表情はすごく印象的であったし、彼女の役はとても重要なものであったと思う)。


妊娠など「男」の存在がうっすら時々出てくることがあっても、これは「女」の映画。「ガールフッド」でもそうだったけど、セリーヌシアマは「ベネトン的多様性利用」をしない。(ベネトン的多様性利用とは、”マイノリティーのエンパワーメントを気にしてますよ”ということをビジネスの売りにすること。)


あと、セリーヌ・シアマは人と人の間に存在するものを描くのに抜きん出て秀逸だ。intimateさ、触れる時にだけ変わる時間の速度や空気の張り、そして愛も。こんなにも素晴らしい映画に出会えたことに本当に感謝しかないし、I feel powerful as ever.

予告編観てたらフランスがこれをオスカーに送らなかったことに怒っている人たちがいたけど、ほんとそう。この作品こそオスカーものだし、永遠の映画のうちのひとつ。

9/28/2022

3回目。ものすごく秀悦な脚本。
「3ヶ月きてない」
「産みたい?」
のキレ。

今回は、肌を絵の具で塗っていくところが特に印象的だった。

When you look at me, what do I look at?

序盤、マリアンヌにみられていることに気づいたエロイーズが、マリアンヌの後ろを歩くことで視線を逆転させ、マリアンヌを動転させるというシーンまで、すごい。
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