このレビューはネタバレを含みます
少年少女が挑む一夏の楽しいタイムトラベル話かと思いきや...
主人公は CJという高校生の女の子とセバスティアンという男の子。ブロンクスで生まれ育った二人は学校きっての秀才。
今二人が取り組んでいるのはタイムトラベルの実験で、それを成功させて科学展で優勝し、奨学金をもらって大学に進学することを夢みている。
そして独立記念日を目前にしたある日、二人はついに10分間だけ1日前に戻ることに成功する。
CJとセバスティアンは冗談みたいに頭のよい子である。
高校生がタイムマシンをつくっただとー?とそこで目くじらをたてる必要はない。彼らの担任はマイケル・J・フォックス演じるロックハート先生。「タイムトラベルなんて実現不可能だよー」とどの口がそれを言うーととりあえずひとしきり笑っておけばいい。
二人は学校きっての秀才とロックハート先生のお墨付き。
ドクがガレージでタイムマシン搭載デロリアンを完成させていたようにCJとセバスティアンもセバスティアンの家のガレージが実験室となっている。
CJもセバスティアンも大学に進学してこの街をでて行きたいと考えている。
冗談みたいな天才ということを除いては、二人はブロンクスに住むごくごく普通の十代だ。
科学展を翌日にひかえたアメリカの独立記念日。
その日、CJの兄カルヴァンが強盗と間違えられ警官に射殺される。
カルヴァンの葬儀を終えたCJはタイムトラベルをして兄を救おうとする。
このタイムトラベル、10分しかできない。
10分間で兄を救う。
なかなかのタイムリミットだ。
一番最初のタイムトラベルのとき、人目をさけて路地でタイムトラベルをするのだが、そこからカルヴァンを救うためにはちょっとした距離がある。
もうちょっと現場に近づいた距離でタイムトラベルすればいいものをと思いつつも、頑なにそこで繰り返しタイムトラベルをするものだから、てっきりそこでしかできない何か事情があるのだろうかと思いきや、CJ、あっさり物置からもタイムトラベルを実行したので、”なにー??!!じゃあ、最初からどうして...💢"とは、まぁなった。
しかし、そこを怒る気にもなれないぐらい、実はこの映画はとても悲しい物語というか問題を提起していたのだ。
繰り返される警察による誤認射殺。
おそらくこの映画に登場する警官の態度は多少誇張されている....と願いたい。
これが誇張でなければ恐ろしすぎる。
しかし、たとえ誇張であったとしても似通った現実がそこにあるのだろう。
一度起こってもとんでもない悲劇だが、このようなことが何度も繰り返おきている。
ある意味、"Get Out"でも描かれているのと同じ恐怖だ。
まだこんな感じなのかとちょっと愕然とする部分がある。
”Get Out”でも感じたことだが、なぜ普通の市民としての人権がここまで確保されないのか。 警官がそうならざるを得ないような血塗られた過去がかつてあったのだとしても、だからといって仕方ないで済まされることではない。
才能豊かで快活だったCJは兄の死から立ち直れない。
前にすすめない。
彼女はどうしたらこの事態をなくすことができるのかタイムトラベルを繰り返す。
まるでループにはまり込んだかのように。
被害者家族はあまりの理不尽にそこから一歩も動けなくなるのだろう。
銃弾は一つの命を奪っただけでなく家族や周囲の者たちにも一生消えない傷を残す。 しかもそれが繰り返されるのだ。
映画がエンディングを迎えた時のショック感は大きい。
確かにまだ答えは出せていないのだ。
この負の連鎖を断ち切るための答え。
“またか”と思ってはいけない。
慣らされてもいけない。
この事態は"異常”だということを忘れてはいけない。
"See You Yesterday"とはカルヴァンがCJを見送る時にいうことばだ。
カルヴァンは妹思いのとてもいいお兄ちゃんなのだ。
大学に進学して羽ばたこうとしている妹のことをとても大切に思っている。
CJにとってはかけがえのない存在だ。
CJにとってのカルヴァンとセバスティアンのように、ニュースで報じられる誤って殺された若者は、誰かにとってのカルヴァンとセバスティアンだということを思い出さなければならない。
可愛らしいとはいえタイムトラベルもの。見る前から多少の切なさ涙は覚悟していたが、予期していたのとは全然違う方向からガツンとくらった。
なんだかもう...、やるせねぇなぁ!