社会が提唱する"正しさ"は、時として"人の心"をも飲み込んでいってしまう。
「未成年の妊娠」と耳にすると、無条件でギョッとしてしまうのは何故だろう。
日本は原則的に"自由恋愛"が可能な国だ。
飲酒や喫煙とは違い、"健全な"色恋に関しては法律で年齢が規制される事もなければ、資格や免許なども勿論必要はない。
それどころか、寧ろ世間一般的に恋愛する事は"いい事"とされ、様々な媒体を通して恋や愛についてのあれやこれを、面白おかしく描いたものがそこかしこに溢れかえっている。
では、恋愛とはなんなのか。
基本理念は、血の繋がらない他人同士が友人以上の感情を相手に対して抱く事であり、"精神的に強く結びつく関係"を総称してそのように呼ぶのだろうが、当然ながら現実は決してそれが全てではないだろう。
恋愛を描いた物語のほとんどが"キス"で愛を表現するように、どれだけぼやかしてもその延長線上には必ず"肉体的な繋がり"があり、それを抜きにして恋愛など語れはしない筈だ。
では、肉体的な繋がりは不健全なのだろうか。
それも否だ。
互いの気持ちが本物で、互いが望んだうえでの繋がりに対して、当人同士の問題を外野がとやかく言える資格などどこの誰にもない事は、成人が未成年者と肉体関係を結ぶ事を除けば、なにより"法律"が揺るぎないものとして証明している。
では、そのうえで妊娠する事は悪なのか。
確かに、大半の未成年者に関しては育てる環境が整えられないであろう事から、精神的、肉体的、金銭的負担を考慮したうえでも、妊娠は極力避けた方がいい事ではあるし、望んで命を授かった訳ではそもそもない場合も多分にあるのだろう。
しかし、ここで重要なのは妊娠した"事実そのもの"が悪ではないことを忘れてはいけないという事である。
ここだけは、何を間違えてもはき違えてはいけないのだ。
そして現在、コロナ禍で社会が停滞して久しい昨今、学校やバイト先が長期の休みになり男女のカップルがより多くの時間を共に過ごすようになったのが原因で、10代女学生の妊娠相談件数が例年に比べ2倍以上にも激増しているのだという。
その中には、恋愛とはまた別の問題で子供を授かってしまった例もあるのは明白だが、妊娠とはすなわち肉体的な繋がりの延長にあるものであり、どんな理由であれ行為を行う以上、確率を下げる事は可能でも、完璧に防ぐ手段は存在はしていないのが現実である。
そして、恋愛の先には肉体的な繋がりがあり、"生物としての成り立ち上"肉体的な繋がりの先にある妊娠という"結果"に関しては、そこにいくら人為的な抑止を施そうとも、不可逆的に"不可抗力"というものは必ず生まれるし、"確率論"には決して逆らえない。
そのうえで、未成年が妊娠する事がこの上ないセンセーショナルな"事件"として取り沙汰されてしまう背景には、どうしようもない"うしろめたさ"がそこにはあるからだ。
つまり、法律や規則ではなく"感情論としての社会"が、それは正しくない事だと捉えているのである。
恋愛も肉体関係も妊娠も、本来決して悪い事にはなり得ない。
しかし、"未成年のそれだけ"は正しくはない。
大半は、当事者でもそう理解している者は多くいるだろう。
ただし、全ての者がそうとは限らない。
中には、命を自らの手で育んでいきたいと覚悟を以って望む者も絶対的に存在はする。
それでも、"世間体"を前にした時、"未成年のそれだけ"はどうしようもなく卑しく恥ずかしい事なのだ。
そんな、多くの"悪意なき否定"の声に掻き消され、"小さな願い"は社会が望む"大きな正しさ"に飲み込まれていく。
今作の少女が人生を踏み外さずに済む方法は、妊娠しない事では決してない。
その事実は、誰しもが経験してきた中に可能性として確実にあった、誰しもに起こり得たただの"結果論"でしかない。
だからこそ、周囲がしっかりと妊娠してしまった事に対する彼女の望みを聞き入れ、あった事を無かった事かのように扱わない事が最も大事だったのだ。
そして、聞き入れるというのは、単に自分の手で育てる事を許すという事だけではない。
その選択をとるには、彼女の将来を考えても、父親の存在や周りの負担を考慮しても、自分一人の生半可な覚悟では済まされないリスクが確かにある。
その事実をしかと理解させたうえで、それでも彼女がどう考えどう望むのかを、親だからこそ考えを押し付けるのではなく、"子供と一緒に"死ぬ気で考えなくてはならないのだと思う。
そして、親はそんな娘に対して軽蔑しても失望しても絶望しても一向に構わないと思う。
親だからこそ、その資格はある筈だ。
しかし、その先にあるのは必ず否定ではなく肯定でなくてはならない。
それが家族としての責務であり、その姿勢こそが本当の意味での教育になり得るのだと思う。
その上で、生まれてくる"子供に罪はない"。
なんでこんな言葉が常套句のように存在するのか些か理解に苦しむが、罪などあろう筈がないのだ。
それでも、結論の果てに実親が親権を放棄しなくてはいけない出来事が無くなる事は決して無い。
だからこそ「養子縁組制度」への偏見は"少なく"させていかなくてはならないし、日本がその点において後進国である事実をもっと広く理解しなくてはいけない。
劇中でも言っているが、養子縁組は"親が子供を見つける為"の制度ではなく、"子供が親を見つける為"にあるのだから。