第94回アカデミー賞(2022)で念願の主演男優賞を獲得するも、アンガーマネジメントが機能せずに平手打ちで全てを台無しにしてしまったドル箱俳優Will Smith主演作。
連日、話題に事欠かない事象となり、死肉に群がるハイエナのように日本でもワイドショーの格好の餌食にされていて…本当に気分が悪い。
視聴者が興味を示すのなら、少しでも数字に繋がるなら、なんでもござれで本当に節操がなくなってしまったテレビはもう本当に老人しか見ないだろう…
番組中に急にショップチャンネル化したコーナーがあり、そのまま出演者が商品の宣伝をしていることに目を疑った。ここまで露骨になるとは…
ギックリ腰を患い、近所の整形外科の待合室のテレビでワイドショーが流れていたので、普段見ないものを何年か振りに見てしまったのだが…
ロバート・クラムが街中で吼えていたのと全く同じ気持ちになってしまった。
「まったく何てザマだ。いたるとこから最低の⾳楽が流れて来る。がなり⽴てるテレビにコメンテーター。最低だ、まったく頭に来る」
待合室で吼えたい気持ちをアンガーマネジメントさせて黙って座ること…。
さて物語の話を。
先ず大前提として、なぜビーナスとセリーナにだけ父のリチャードは自分のプランを課したのか?他の子どもたちは?
映画では最初から、その他扱いされていて、私としては少しモヤモヤしていたのだが…同じ家族のはずなのに、ビーナスとセリーナ以外の姉妹たちは"その他"のように扱われているのが、何か気持ちが悪い。
ビーナスとセリーナと父の物語だから、パワーバランスも比重も偏るのは当然といえば当然なのだが…
"その他"と感じてしまうこの何かが、平手打ちに至るまでの根の部分に関わっているような気がしてならない。
同じ家族のはずなのに…他の姉妹と、キング・リチャードがどういう関係なのか分からない。
アメリカでは皆んな知ってることだから、省いたということならいいのだが…実際は、どうだか知らないけど…
みんなリチャードと奥さんとの子なの?奥さんの連れ子なの?よく分からないんだよね…前の奥さんとの子どもがどうたらこうたらという、今の奥さんの台詞があったとは思うけど。
でも他の姉妹と父との関係は描かれてないよね?
このドリームプランを基にしてビーナスとセリーナの2人を産んだの?産むこともプランの内だった?そうだとしたら決して褒められたことじゃない気もするが…
Aunjanue Ellis演じる奥様とリチャードの子どもは誰と誰?全員?
大前提の家族の関係が全く分からない。
なぜビーナスとセリーナだけがテニスなのか?この2人ならと確信に至るまでに要した逡巡は全くない。いきなり2人に絞っている。
どういう過程でそのプランを完成させたか?そして、その計画にどこまで忠実に行動していくか?そこが大事なのでは?
映画の初めから2人の才能を妄信している父親なので、傍から見たらやはり狂った父親にしか見えない。
そう見せようとしてるなら成功とも言えるが…
しかし、両親が離婚して父のいない家庭で育った私からしたら、なんだかんだ問題ありそうに見えつつも、夜中に警備員(夜警)という自分の仕事もしつつ、研究熱心で、仕事以外の時間を全て子どもの為に使ってくれたのなら幸せなんじゃないか?…厳しい練習が連日休まず続くけど、それだけ一緒に過ごせたら幸せなんじゃないか?…と、羨んでしまう自分がいた。
それが屈折した見方かもしれないが…
シンデレラを子どもたちと一緒に見て、感想を言えとリチャード。キングの望ましい答えが返ってこないと、何を見てたんだ!と烈火の如く怒り出して、もう一度見る!と…
これは当事者であったなら堪らないのかもしれないが、子ども映画をあんな風に一緒に見て過ごしてくれなかった父を持つと、やはり羨ましい。
自分が考えたプランに沿ってアイデンティティを与えていくのは、かなり強引ではあるのだが、何も与えてくれなかった私の父と比べたら些かマシなのでは?
子どもに対しての熱量、それは愛情とはまた違うのかもしれないが、それでも子どもからしたら、自分を見てくれているという実感だけで愛情は感じるのではないか?
子どものことを見もしない、話もしない、興味もない、コミュニケーションも取ろうとしない私の父よりは!
キングリチャードの父として常に強大な存在感に対して、父のいない私は常によるべのない不在感。
クソな父親ならいない方がマシかもしれない。それは間違いないだろう。でも、クソかどうかの判断もできない子どもからしたら、どちらがどうだったかなんて分かるわけがない。
父からの愛情は何も感じない。
連日の練習の所為で、隣家から児童虐待では?と通報されるリチャード。
しかしこのシーンを見て、イヤッ何もしなかった私の父こそ通報案件だろ?と思ってしまった。コミュニケーションも取らず何もしないわけだから、もちろん子供のわたしの身体には負荷は全く掛からないのだが、心に負荷はかかり続けていく。
その不安を払拭させてくれるのは、母親の愛情でしかないのだが…共働きの母にもまた余裕もなく…
「オマエらはナンバーワンだ!」
と、自分の娘たちを信じきるそのタフさも素晴らしいと思う。そして、それをキチンと相手に伝えることが、やはり素晴らしい。
子どもには言葉で的確に褒めてあげることが自信につながる。
上から威圧的な態度で圧倒して黙らせ昭和のスポ根魂から抜け出せない日本式のスパルタ教育より、良かった点を具体的に言葉で褒めてあげることにより自信をつけさせるアメリカ式の教育の方が優れていることは証明されているだろうに…
未だに時代錯誤な輩がわんさかいることに驚く。
やりたいこと、夢を信じ続けるには、余りにも障害や壁が多い。それを信じ続けるには励まし続ける声が絶対的に必要である。
「オマエはナンバーワンだ!」
子どもの頃に私もそう言われたかったと、この映画を見て、つくづく思った…。
そしたら、また違った結果になれたはずであると思わずにいられない。
人の所為にしたくはないが…
とにかく何やるにしても全て否定から入る親にならないことを肝に据えたい。
これは親子関係に限らず、職場の人間関係、恋人との恋愛関係でも同じこと。
その割には…このレビューで色んな作品にボロクソ言ってるような気がするが…これは、その時の感情などを留めておく備忘録なので…気分を害された方がいましたら申し訳ございません。
テニスについてズブの素人のくせに、自分なりに研究して一生懸命に勉強してるリチャードを見てると、素晴らしく熱い父だと…あのプロはこう言ってたとか…オープンスタンスにこだわり続けるとか…
私の父にはその熱量が一ミリもなかった。
兄弟揃ってサッカーをしていたのだが、私の父はサッカーの勉強をして、このコーチがいいとか、こうやってモチベーションを保てとか…そんなキングのような素振りは完全になかった。
仕事で忙しいのかもしれないよ、でもそれって自分の事しか考えてないってことじゃん。
モンスター井上尚弥を育てた父・真吾氏も独学で付きっきりで教えてたわけでしょ?
自分にもキングリチャード父ちゃんがついてくれてたなら…投げ出さずに最後までやれてたか?…イヤッ反発してグレてる可能性もあるな…
ファックザポリス!
でお馴染みのNWAが育った超絶に治安の悪い都市コンプトンに暮らすウィリアムズ一家。
ロサンゼルス暴動のきっかけとなったロドニーキング暴行事件がリアルタイムでテレビで流れる。
いまなお根強くアメリカ社会に残る差別問題。その激しい闘いの渦中にいて、どうしたら敬意を示してもらえるか?リスペクトされるか?お金のためというよりも、世界からリスペクトされる存在になるためには何を為すべきかを懸命に考えた父親の愛情を深く感じる。
親のエゴともとれる強烈なプランと、その遂行力、徹底した頑固さには、見ていてハラハラするというか、ヒヤヒヤすることもあるのだが…やはり子ども目線で見てしまうと胸が締め付けられる。
そして現実にはビーナスとセリーナの2人は大成功をおさめているという担保があるので、安心して見ることができる。
一見すると、隣の家のババアのように、雨の日もひたすら練習させる親を見て、通報したくなる気持ちも分からなくはない。
しかし強制的に連れて来られて、白人の奴隷となった事実から、この負の連鎖から抜け出すには、生半可な気持ちと努力では対抗できないということを意味している。
凄まじい努力をさせればさせるほど、その裏返しには、凄まじいまでの人種差別があるということが浮き彫りになる。
ここぞというときの、父親が話す自身が受けてきた屈辱の出来事が具体的でいてわかりやすく、恐らく娘にも似たような経験則がすでに体感としてあるのだろう。
コンプトンに住んでたら尚更であろう。
そのための努力。
そのためのプラン。
ただ親のエゴでテニスをやらせてるのではない。そのように見える瞬間もあるが、いや…彼は、愛情をもって、黒人たちがこれまで受けた屈辱に対する答えを彼女らに託したのだ。
だから、大いなる試練を託して小さな小さな目的ではなく、黒人代表として彼女たちを育てたのだ。
ここが極東で普通の家に生まれた自分とは決定的な違いであろう。ここから生まれるハングリーさには逆立ちしても勝てない気がする。
しかし…成功したから美談だけどね。
よく途中で投げ出さなかったね。
常にモチベーションを保たせ続けた両親、そしてコーチも天晴れである。
当然、本人たちの努力は言わずもがなである。
人種間の隔たりというか、黒人と白人の直接的な差別はあまり描いてないが、見え隠れする度に、泣いてしまった。
練習ばかりで身体に負荷はかかり続けるが、モチベーションや自信を与えてくれるのは、やはりいい父親だろう。
ようやくにして、姉のビーナスにだけコーチがつく。
姉だけが車で練習へ向かい、置いてけぼりのセレーナ。そこで母親が寄り添って練習するのだが…
ここ、編集でカットバックして、時を同じくして、違う場所でそれぞれが必死に練習してるように見せてるのだが…ビーナスはキチンとしたコーチに教わり、セリーナは母ちゃんに教わる。
母ちゃんはテニスできんの?
娘のプランを考えたのは父ちゃんやないの?サーブのヒネリは私が教えたとか言ってた気がするけど…
あなたは看護師じゃないの?
独学で勉強したのは父ちゃんでは?
しかも昼間は仕事のはずでは?
今日は休み?
この辺はサラリとしてしまった。
2人目のコーチ。
フロリダで、豪華な家に引っ越したが…
ここでは母ちゃんは仕事してない?
父ちゃんも仕事せず?
この辺から父ちゃんからビーナスの方へと比重が移っていく。
人間いくら信じても信じても、生きてれば自信を失うタイミングなんて五万とある。
自らの立ち位置を考え、夢を諦めることが答えかもしれない…というところから再び立ち上がる力はなんなのか?
早々に新たに道に向かった方がいい場合もある。夢にしがみ続ける場合もある。
どちらがどうなんて誰にも分からない。
だから平気で否定するような言葉を言わないでほしい。アナタに行く末が見えるわけないのだから。
日本版ドリームプランはモンスター井上尚弥の父の話でいける気がする。