shunsukeh

生きるのshunsukehのネタバレレビュー・内容・結末

生きる(1952年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

この映画は、自分の死期を自覚した主人公渡邊勘治が、そのことによって、死への恐怖や自暴自棄や逃げたい気持ちを乗り越えて、行うべきことを見つけ最後の時間を本当の意味で生き切った様を描いている。
役所仕事でただただ時間を擂り潰すように生きていた勘治は、自分の死期を自覚した直後、深く失望しうろたえる。早く死んだ妻、息子の成長の過程を思い出しながらむせび泣く。苦労をしながらも息子を社会に出て結婚するまでに育て上げた。恐らく、いい思い出も沢山会ったに違いない。しかし、彼はむせび泣き、勤めを休み酒を飲む。彼のうろたえようは哀れさを超えて滑稽なほどだ。彼は死を忌み嫌う生き物の本性をコントロールできない。彼にはそもそも、死を想定した生き方ができていなかった。死への準備ができていなかった。そして、そんな生き方は彼に限ったことではない。大抵みんなそうだ。
勘治は居酒屋で出会った小説家に享楽の世界に導かれ、少し救われる。それは、死期の自覚からの逃避にしか過ぎないが、それでも混乱から少し落ち着きを取り戻す。このとき、彼は新しい帽子を手に入れる。これは、彼自身が生き方を刷新する予兆でもある。
更に、勘治に大きな影響を与えたのは小田切とよ、職場の部下である。彼女は停滞した職場に留まることに我慢できないほど活力に溢れている。勘治は彼女に惹かれる。それは、これからの短い人生を彼女のように活力に満ちて生きていきたいから。彼女から何かを作ればいいというヒントを得て、たらい回しにされていた市民要望である公園作りに邁進することを決心する。このとき、居合わせたグループが行っている誕生日パーティー。バースディーソングが歌われる中、決心した勘治が店を出て行く。生まれ変わった勘治を暗示している。
勘治は公園作りをやり遂げて死ぬ。公園で亡くなったのは、寂しい死ではなく、仕事をやり遂げ、生き抜いたことのしみじみとした達成感を噛みしめていた中でその時が来ただけだった。彼の志と仕事に同僚たちは深く感銘を受けた。しかし、その後も、市民の要望はたらい回ししてしまう。それでも、彼らの心に何らかの変化が起こっていることは、その後ろめたそうな様子から分かる。そして、もう一つ、勘治は子供たちが楽しく遊ぶ公園を残した。
shunsukeh

shunsukeh