小松屋たから

羊とオオカミの恋と殺人の小松屋たからのレビュー・感想・評価

羊とオオカミの恋と殺人(2019年製作の映画)
3.2
ものすごく古くは「屋根裏の散歩者」とか、近過去では「真木栗ノ穴」、最近では「アンダー・ユア・ベッド」とか、「覗きモノ」って、基本はもちろんほぼ犯罪行為ベースなのに、なぜか、耽美かつ文学的な趣きが宿る。

隣の部屋の他人の生活をこっそり見るという背徳感あふれる行為は、視界外を想像で補うべく人間の脳を活性化させるから、映像の世界において、きっと、一ジャンルとして続いていくに違いない。その大げさに言えば人類普遍とも言える題材が、今の若年層向け邦画ではどんな風に描かれるんだろうというものすごくベタな、それこそ覗き見的な興味から、思い切って観てみることにした。ちょっと気恥ずかしかったけれど。

この作品は、隣に住む訳アリの女に恋をした、という、荒唐無稽に見えつつ、実は「覗きモノ」では王道のお話で、決して面白くないということは無かった。ただ、ホラー、スプラッター、ブラックコメディ、猟奇、ラブ、青春、どこにも振り切っていないので、結果、殺しのリアリティとか登場人物の心理とか、一般常識目線から見てどうなのか、という本来、フィクション鑑賞者としは忘れるべき点がどうしても気になってしまう作りになっているのが残念。せっかく、「コンプライアンス」に厳しい今の日本の地上波テレビでは実現できないであろう内容を映像化したのだから、いっそ、もっともっとファンタジックに弾けてくれたらよかったのに、と思う。

狙いとして「日常の延長」であることに重きをおいたのかもしれないが、それにしては、不自然なセリフや動きに満ち、主人公の独白ナレーションも過多、演出も過剰。いやいや、これはコミック原作の若い人向けのラブコメであって、あなたはこの映画のターゲットではないから、と言われてしまえばもちろんその通りなのだが。

でも、主演、ヒロインのお二人は、時折たどたどしくもキュート。だからこそ、もっと言葉数少なく、笑顔と血しぶき、そのギャップだけでお話を埋められたらいいのに、と思った。普段は使わない言葉をあからさまな劇用セリフとして「言わされている」からか、手練れの江口のりこさんでさえお芝居が窮屈に見えた。

この映画に限らず、演出家、脚本家、プロデューサーら邦画の制作者は、観客の理解力を低く見過ぎてはいないだろうか。これぐらい言葉や動きで説明しなくては、また、お行儀よくしなければ、今の若いお客さんはついてきてくれないのではないかという不安感が映画の質を落とし、それが結果、観客の鑑賞眼やショック耐性をより低下させていくという悪循環に陥っていないか。

これが、海外の映画だったらどうだろう。ドライで、ブラックで、でも、可愛くて。

例えば、イギリスや韓国で映画化したらとんでもなく面白くなるかもしれない、そう思ってしまった