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FUNAN フナンのろくのレビュー・感想・評価

FUNAN フナン(2018年製作の映画)
3.6
社会主義が悪いという意味ではない。問題は目的と手段なんだ。

そもそも社会主義の概念って「誰もが幸せになる世界」だったはずなんだよ。その目的のためにマルクスは提唱した。だからマルクスが言ったことを単純化すれば「自然と世の中は幸せになるために社会主義になってしまう」ということなんだ。革命が社会主義の本質ではないんだよ(自然と世の中はそうなるってことには違和感しかないけど)。社会主義は「幸せ」になるための「手段」でしかないんだ。

ところがいつの間にかその「手段」は「目的」になる。革命をしなければならない。目的のためなら犠牲は厭わない。それは「社会主義」を成功させるためには必要だから。

でも「手段」が「目的」に成ったら悲劇が生まれる。今作品の舞台はあのカンボジア、クメール・ルージュ。そして目的化された社会主義は当初の目的である「誰もが幸せになる」から離れ、ただの自家薬籠中に陥ってしまう。そこにあるのは悲劇でしかない。この映画もそうだ。だから僕らは少しだけ間違える。「社会主義は悪いんだ」。

でもそれは多少の錯誤だと思う。怖いのは社会主義ではない。集団化と「暴力で解決しても構わない」という思考。その思考に陥った時、人は「恐怖」となる。この映画でもそれは語っているじゃないか。共産党員であるカンボジアの革命軍も怖いが、彼らを怒りのままリンチする「普通の人」も怖い。暴力には暴力でという「感情」は分かるがその結果はやはり「悲劇」が起きる。それはこの映画の監督も言っていたことだ(見終わったあとネットで調べた)。彼は「善と悪」を撮りたいわけではない。撮りたいのはそこにある「悲劇」だと。そう、「善」と「悪」という思考がある限り「善」が「悪」を駆逐することしか「正しい」ことはないことになる。でもそれは「正しい」ことではない(そもそも正しいという言葉はなんと傲慢なんだろう)。社会主義はソ連を生みアフガニスタンで悲劇を起こした。中国では文化大革命を起こした。今作のカンボジアでも悲劇は残酷な結果を生む。だから社会主義が悪い……いやそれを言うなら資本主義はどうだろう?アメリカの赤狩りはどうなったか。韓国の光州事件は?富の偏在は?難しいとこだけどシステムのどちらかを「悪」「善」にしようとする志向からそろそろ昇華すべきではないだろうか。そんなの無理に決まっている!確かに。でも少しだけ大事なはずだ。僕は日本でも保守のもの言いにも左翼のもの言いにもうんざりしている。お互いに歩み寄らない態度に。そんなことを思ってしまった、この映画を見て。

映画としては登場人物があまり書き分けられてないので正直見ていても大変である。映像ももう少しやりようがあったのではないかと思う。でもそれでもこのような映画を「作ろう」とする気持ちには敬意を表する。ただ懸念として誤解されなければいいなとも思っているのは事実だ。僕らに出来ることは「悲劇」を生み出さないために何が必要かということだけなんだ。


※冒頭で社会主義は悪くないと書いたけど少し誤解を生むかもしれない。「結果」を見れば社会主義というシステムは破綻しているだろう(擁護もしない)。ただ僕はそれでもマルクスの思想は清廉なものであったと思っている。残念なことにその「清廉」は曲解の末「汚濁」にまでなってしまったことに忸怩たる感想しかない。
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