延々と歩く

地獄の黙示録 ファイナル・カットの延々と歩くのレビュー・感想・評価

3.0
 言わずと知れた超有名作。オリジナル(1979年)→特別公開版(2001年)→そして監督本人が一番納得できる内容だという「ファイナルカット」(2020年)の順番で公開された。

 慰問ライブからのプレイメイトたちと一夜を過ごす件が無いと思ったら、アレは「特別公開版」だったのか、ちょっと残念。そのかわり農園をあきらめないフランス人入植者たちとの食卓シーンがながく、ある種「カリスマの薄いカーツ大佐」といった感じもある。

 戦争中に発狂し、自身の王国と軍隊をつくってしまったカーツ大佐を暗殺せよ、というのがこの有名作のストーリーだが、いま見なおすとこんなに「ミニ・カーツ大佐」というべき人物が出てきてたのかと思う。

 優秀な司令官なのにサーフィンのことになるとあっという間に理性を失う・サーフボードを盗まれてヘリコプターで一生懸命さがさせるキルゴア中佐、上述のフランス人たちともはや戦場にしか居場所が無い主人公…。

 戦争の狂気や魅力的ですらあるエネルギーなどは既にこのキャラクターたちによって表現されきってて、まるでホラー映画のように描かれるカーツ大佐のくだりがどのバージョンでも一番退屈、というのが皮肉である。

 まあ前半だけで終わっちゃあんまりだと思ったのも分かるけど、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉もある訳で、世界を動かす残酷なナニゴトか…とかにあんまり過敏になりすぎても仕方がないという気がする。

 こういうある程度の批評性とか風刺を求められやすい映画にコッポラは向いてない・その才能があっても自分で気付いていないか納得できなかったのだろう。作家・批評家として有名な小林信彦もオムニバス映画「ニューヨーク・ストーリー」をみて「コッポラは体質的にコントにむいてない」と書いていた。コントやら笑いというのは「短い間に本質を言い当てる」とこがあるので、そっちに手を出すにはコッポラはどこか性格がまっすぐすぎるのかもしれない。
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