映画なのかな、テレビなのかな、
なんなななのかなと思って見始めた、
開口一番。大林監督こと、名脇役が、
主演女優を紹介してくれて、安心した。
CMを制作する過程でも言ってたけど、
彼が回すものはすべからく映画だとするのなら、これも映画で間違いなかろう。
がん告知から、映画2本。
花筐と海辺の映画館。
先が長くないと分かった上の作品である。
そこに対して、過度な感情的なものを押し付けるようなことは断じて許されないとは思うけど、あの2作のメッセージは、その2作だけじゃないけど、また深く、しかと受け取って、さらに繋いでいかないといけない。
恭子さんは、東京大空襲が最初の記憶。
宣彦さんは、お国のためにと言われていた命を、嘘のように弄んだ大人たちを信用せずに生きることを誓った経験のある人。
幼いが故の、戦争へののめり込み。だと。
そりゃそうだよな。そりゃそうなんだよ。
戦争の最中に生まれて育った子供達は、
お国のために死ぬために生まれてきたと、本気で思うし、それ以外の選択肢を知らないんだから。
そういう当たり前を、伝えてくれる人たち。
世の中には、もういない人の魂の方が、今生きてるやつより多いんですよ。
負けるわけないだろ。負けるはずがないよな。
23で結婚して、当時の会話がそのまま、大林イズムで。今出力してるからかわからんが。
ヌーヴェルヴァーグに対して、
海の向こうでも同じことをやってる奴らがいるんだなって感覚でいた人たち。
あまりに頼もしくて、俺は笑った。
嫁が受賞したことが、生きてきて1番良かったことで、本当によかった。
好い2人ですね。
「絵の中の少女」が彼を支え続けた。
物語を映画の中に閉じ込めてはいけないよ
それでは死んでしまうのだ
映画は僕らに向かって自然に自由に開放されている。
私は私の物語が壊されて姿を変え際限なく広がっていくのを私自身の青春のように見ていた。
主婦の感覚でいてくれた人。
映画が終わるまでは死ねん。
命をかけてもいいものだ。
このピカピカは演出に使えそうだ。
責任を負うって話。
先輩後輩、相思相愛、夫婦、
美のためには時間はいくらでも使っていい。
予告された遺作。
大林組に、普通はありませんから。
めちゃくちゃ幸せな人。たしかにそう。
尊敬できなくなったらお別れって言って、
そのまま一緒にいられる人も確かにそうなのだ。