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セノーテのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

セノーテ(2019年製作の映画)
2.5
【Don't think,feelを読み解くこと】
タル・ベーラのもとで修行をし、『鉱』で注目された小田香監督新作にして、山形国際ドキュメンタリー映画祭を騒がせた作品『セノーテ』。恵比寿映像祭で観てきました。

Q&Aを聞くと、監督は良くも悪くもフィーリングで映画を作っており、作品における理論に関する質問は曖昧な形の回答となった。

ブンブンも、本作における水中の境界線を執拗に撮る様の意図を監督に尋ねたが、ただ一言「境界が好きだったから」と返すのみであった。

そもそも、企画は水が苦手な筈の彼女がサラエボの大学で勉強中に同期だったメキシコ人《マルタ》から「香は次何を撮るのか?」と訊かれ、咄嗟に「水、海が撮りたい」と返したことから始まった。

マルタの紹介で、メキシコ・ユカタン半島にあるセノーテを知り、取材をしていくなかで本作が生まれた。撮影はiPhoneをベースに行い、時折8mmや5Dで撮影を試したのだ。

つまり、彼女のインスピレーションで本能的に作られた作品で、理論云々な作品ではない。そこがパトリシオ・グスマンと異なるポイントである。

さて話を戻そう。『セノーテ』はダイバーが撮る綺麗な映像とは異なり、セノーテの持つ神秘性と水の中の世界が持つ、時間を鮮明にアーカイブする側面を捉えている。

故に、水中から境界線を見る様は、まるで未知なる惑星の大地を観るような視線になっている。現地民の姿を8mmで古ぼけた映像に魅せ、それと対比するように水中を映すことで、人々の記憶は朧げだが、自然は鮮明に歴史をアーカイブしていることを強調しているように見える。

また、生を支配しようとする人類の支配が及ばぬ場所として水があることを、蒼い光線や音が木霊する異様な空間から見出そうとしている。

確かに、本作は映像体験を自分の言葉に落とし込んでなんぼな作品ではあるが、幾らなんでも観客に委ねすぎな気もして、また徒然なるままにメキシコ文化をつまみ食いしているだけなので実験映画としてもドキュメンタリー映画としてもイマイチな作品と言えよう。まあ癒されはしましたが。

P.S.小田香監督が好きな作家として、ペドロ・コスタ アピチャッポン・ウィーラセタクン、カルロス・レイガダス、王兵、佐藤真を挙げていた。それは納得である。
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