Fitzcarraldo

映画の巨人 ジョン・フォードのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

3.5
Peter BogdanovichによるJohn Ford監督に捧げるドキュメンタリー…というかインタビュー番組。

言わずもがなの大監督であるジョン・フォードだが…日本人に全く馴染みのない西部劇ばかり撮ってる監督でしょ⁈と完全に舐めきっていて…これまで1本も見ていない。

ということでピーター・ボグダノヴィッチから入るという超邪道な横道からジョン・フォードを堪能。

とにかくスピルバーグにした地平線のエピソードはクソカッコいいし、嫌々感が満載で超だるそうに受け答えする面倒くさそうな本人のキャラクターにも興味が沸いてしまう。

これは近々…ジョン・フォード祭りをひとりで催さなくては…

教科書にしたいような金言ばかりなので以下に採録する。

ーーーーーーー

1969年

「シーン11 テイク1」
カチンコが入る

ジョン・フォード
「テイク1? 1回しか撮らんぞ」

聞き手
ピーター・ボグダノヴィッチ
「壮大な西部劇『三悪人』では、風景描写が凝ってます……撮影法は?」

ジョン・フォード
「カメラで」

終始…面倒くさそうなジョン・フォード。
そんなの知るかと言わんばかりにシガーを吸いまくる。

ピーター・ボグダノヴィッチ
「私の考えでは、あなたの西部観は年月を経て悲しく暗くなってますね。例えば『幌馬車』と比べて『リバティ・バランス』の調子の変化にお気付きで?」

ジョン・フォード
「NO…NO…」

ピーター・ボグダノヴィッチ
「何か言いたいことは?」

ジョン・フォード
「何の話か分からん」

ピーター・ボグダノヴィッチ
「西部劇のどんな要素があなたを魅了したんですか?」

ジョン・フォード
「知らんよ」

ピーター・ボグダノヴィッチ
「『アパッチ砦』の主眼というのは、軍の伝統は一個人よりも重要だということですか?」

ジョン・フォード
「…カット」

おぉ勝手にカットをかける鬱陶しい巨匠。



ーーーーーーー

スピルバーグ
「彼に会った。15歳くらいの時分だ。ある人に会いに行き、将来何になりたいか聞かれ、映画監督ですと答えた。"私はテレビ畑だから向かいのオフィスの人に会って話すといい" "誰です?" "ジョン・フォードさ" フォードは昼食に出ていて、まず秘書に紹介され、椅子に腰掛けて彼女と45分話をした。突然、男が入って来た。まるで猛獣狩りの格好だ。サファリの服にへなへなの帽子だった。アイパッチをしてハンカチを噛んでいた。手には葉巻を持ち、顔中に偽物のキスマークが付いてたよ。完全な唇の形をしてるやつが、額と頬と鼻にあったんだ。彼はサッと部屋に入り、秘書がティッシュを持って後に続いた。やがて出てきた秘書が"1分だけ話せるわよ"って。私が部屋に入ると、フォードが座っていた。彼の前の机にはブーツが乗っていた。
"映画の作り手になりたいって?"
"はい。監督志望です"
"映画は詳しいか?"
"故郷のアリゾナ州で8ミリ映画を撮っています"
"芸術家について何を知ってる?"
私はしどろもどろで何か答えていたと思う。彼は…
"壁に絵が掛かってるだろ?"
西部の絵だった。
"あの絵に何が見えるか言ってみろ"
"馬に乗った先住民がいます"
"NO!NO!NO!そうじゃない!地平線はどこだ?地平線が見えんか?"
地平線を指さすと…
"指さすな!どこにある?…絵全体を見て地平線は?"
"絵の一番下です"
"よし!次の絵だ"
次の絵の前に立つと…
"地平線はどこだ?"
"絵の一番上にあります"
"こっちへ来い"と言われ、彼の机の傍へ行った。彼は言った。
"つまり地平線の位置を画面の一番下にするか一番上にする方が、真ん中に置くよりずっといい。そうすれば、いつかいい監督になるかも。以上、終わり"」




ーーーーーーーー


デューク
「彼はうまく俳優をいたぶるのさ。重要なシーンじゃない時にね。それで俳優を刺激し重要な所に備える。その後は大事に扱われるんだ」



ーーーーーーー


クリント・イーストウッド
「彼の作品群…あの量だよ。あれを考えれば推察できるだろう。彼はセットに来て、最初のショットはどうしようかとか、俳優はどう思うかなどと思い悩まない。関係を築く気もないんだ。いきなり"最初のショットだ。誰それはこう動いて、彼らがこう動けばこうだ"」


イーストウッド
「彼らは常に先へと進もうとした。撮ってれば、どこかへ到達できそうだ。一日の始めに、ある部分は完成できそうだと思う。翌日は同じ箇所に戻ろうとは思わない。俳優の大写しを40テイクも撮るんだから」



ーーーーーーーー


ウォルター・ヒル
「悪い監督は無言だ。良い監督は何かを言おうとするものだ。本当によい監督は多くを語ろうとする。フォードは演出、撮影の達人だ。あらゆることを語るんだよ。詩人なんだよ」



ーーーーーー


ジョン・フォード
「先ず準備は整えておく。全員の顔が映るように撮影する。動きは指示し、リハも済んでる。1テイクで充分だ。
演技が新鮮だ。最初は俳優も熱がこもってる。テイクを重ね誰かトチり、同じシーンを繰り返すと草臥れる。俳優が疲れてくる」



ーーーーー



ヘンリー・フォンダ
「1テイクでないと機嫌が悪い。彼は好きなんだ…1回目の時に感じる気持ちがね」



ーーーーーーー


イーストウッド
「俳優の志としては、いつも初めてのように演じたい。心の動きも初めてという感じで。言葉も初めて発するように…それが30回目のテイクでも、俳優の側は何とかテクニックを駆使して初めてみたいに見せる」



ーーーーーー


ジェームズ・スチュワート
「シーンが始まって…これからなにが起きるか知らないと、急に気付く。繰り返し演じてないし、どうなるか聞いてもいない。まぁいうなれば計画された即興だ」



ーーーーーーーー


ジョン・フォード
「映画では運が良いときもある。大抵、悪いけどね。事前に計画してないことが起きた時には、撮ればいい」


ーーーーーー


イーストウッド
「スタジオシステムがある。当時スタジオシステムで撮っている場合は、重役が来てラッシュを細かく見る。時には別の編集マンを一緒に連れてきて、同時に別編集をやる。それをやられると監督は面白くない。だから彼らは対応策として、必要なだけ撮り、カットをかけるんだ。何通りもの編集は不可能になるね」


ーーーーーー


ウォルター・ヒル
「フォードは言っていた。“何度もスタジオと闘い、すべて負けた” だが『怒りの葡萄』や『荒野の決闘』が残った。『コレヒドール戦記』もね。そんな負け方をしてみたい」



ーーーーーー


スピルバーグ
「フォード映画を見てきて、学んだのは…彼が偉大な画家だってことだ。ただし、描くのに100人の手助けが要る」


ーーーーーー


スコセッシ
「『捜索者』の序盤で、ウォード・ボンドが到着し、コーヒーとドーナツを頼む。全員があの映像の中で動いている、台所でね。私にとって、それがフォードだ。愛する人々と共に時を過ごす風景。愛情深く撮られている。それがフォード」



ーーーーーー


デューク
「まばらな会話というのが彼の好みだった」


ーーーーーー


ハリー・ケリーJr.
「彼は常々…"必要のない会話なら削ってしまえ" 彼は台詞をたくさん削った。俳優は動揺してた。役まで小さくなるようでね。だが彼は気にもせず会話を削った。つまり映像で語れるなら、シーンを説明する台詞を並べるよりいいからだ」


ーーーーーー


ピーター・ボグダノヴィッチ
「映画にとって会話とは?」

ジョン・フォード
「必要だろ⁈観客が期待している…まあ役には立つ。歯切れがよくて冗漫でなければね。長い独白なんてダメだ。トーキーは好きだよ。無声映画より作りやすい。つまり…無声映画は重労働でね。こちらの意図を伝えるのが難しい。カメラは動かしっぱなしだ。それがトーキー映画なら…君とずっと話しているが伝わるといいな」

ピーター・ボグダノヴィッチ
「あなたの映画では視覚要素は大事ですね?いかがです?」

ジョン・フォード
「そうかもな」



ーーーーーーーー


デューク
「彼には台詞のないシーンを作る才能があった。彼の下で仕事をする時には、リラックスして見ること。ある場合には、当然話の運びを聞かされているから人物の考えはわかる。だが関係ない。俳優は見ればいい。観客は自分なりの思いをそこな投入する。観客がそのシーンに心を与えるんだ」



ーーーーーーーー


ウォルター・ヒル
「台詞の間にある何か…それがフォード映画をフォード映画たらしめる。脚本には"一同 踊る"としか書いてない。大概はね。フォードはそこで敢えて、ある一瞬を捉えにいった…【監督の一瞬】だな。それが映画を他の表現方法と分けると彼は気づいていたんだ」



ーーーーーーーー


デューク
「実は私が駆け出しの頃、教えてくれた。
“デューク、いいか。多くの場面を演じれば古くさいと思うこともある。精一杯、演じることだ。とことん演じろ。切り抜けられるさ。だがもし、ふざけ半分で演じたりすれば自分を見失い、その場面をつかめない”」



ーーーーーー


ピーター・ボグダノヴィッチ
「1936年の『メアリー・オブ・スコットランド』で、フォードとキャサリン・ヘップバーンは恋仲になったらしい。ヘップバーンが意見するのを彼は許していたし、歓迎していた。彼はアイリッシュ旧教で子供が2人いたが、ある期間、彼らは親密な関係にあった。その結果、彼は生涯でも最高の作品を連発している。1939年〜1941年の3年間だ。その後、彼は海軍に入り、彼女はスペンサー・トレイシーと恋仲に…
作品群は『駅馬車』『若き日のリンカン』『モホークの太鼓』『果てなき船路』『怒りの葡萄』この作品でオスカーの監督賞を獲得し、翌年『わが谷は緑なりき』で作品賞も得た」



ーーーーー

イーストウッド
「よくも矢継ぎ早に撮れたものだ。39年、40年、41年と…そりゃとにかく素晴らしい映画だ。あの年代に育った者は永遠に影響される」
Fitzcarraldo

Fitzcarraldo