まぬままおま

魚座どうしのまぬままおまのレビュー・感想・評価

魚座どうし(2020年製作の映画)
4.0
山中瑶子監督作品。

めちゃくちゃ面白い。
母からネグレクトを受けているみどりと母が新興宗教にはまっている風太。
理科室で飼われている金魚のように、家庭という水槽の中でしか生きられない彼らの生がリアリズムに描かれている。

みどりが熱を出すシーンが印象的だ。みどりは母に配慮して、寝てたら治るといっているのに、母はインフルエンザかもしれないと心配し病院に連れて行く。診断の結果、ただの風邪であることが分かるのだが、母はみどりに仕事で迷惑をかけたと八つ当たりする。子どもが熱を出すのは仕方ないし、自分の意志ではどうにもできないことなのに母に怒られるのは本当にかわいそう。ケアされるべき子どものみどりがケアされないのがネグレクトと言われる所以である。

風太もかわいそうだ。彼は新興宗教の勧誘に駆り出され、訪問した成人男性に怒鳴られる。彼は確かに傷ついているはずだ。しかしその事情を知らず、みどりの家に訪問にいった信者はひとりで勧誘できたと褒めてくれるのだ。自分はやりたくないのに周囲が認めてくれるからコミュニティに属し続けないといけない/で生きないといけない。風太の悲しい笑い顔が物悲しい。

終盤、金魚が何者かによって水槽から出され、大量に死んでしまう出来事が起こる。この出来事は教師のホームルームでの説教によって語られる。子どもがやったとされる圧倒的な暴力。しかし私たちは大人の暴力をまざまざとみせつけられる。

上述のようにみどりの母や風太の母の暴力もそうなのだが、教師や学校という制度も暴力を行っている。教師は大縄でひとりだけ飛べない生徒の帽子を赤のままにして仲間はずれにする。それは一体感の醸成かもしれないがその生徒にとっては暴力だ。みどりがその暴力に耐えかねて長縄回しをやめることもよく分かる。説教だって暴力だ。教師という権威をつかって、生徒を一方的に断罪するのだから。

かといって子どもを暴力を受ける無垢な存在にしているわけでもない。なぜなら風太が友達と魚の口に爆竹をいれて爆発させる遊びをしている描写があるからだ。大人と比べて社会性が未熟だからこそ純粋な暴力にもなり得るのだ。

それでは金魚に純粋な暴力を働いたのは誰なのだろうか。みどり?風太?それとも別の誰か?みどりが教室を逃げだしー教室も水槽のメタファーだー、風太を突き落とすことで物語は終わるのだが、この未完の結末こそ暴力の終わらない様を描いているとも言えるだろう。

そのほか白飛びする背景は「水槽」の中と外を強調しているのではないかと思い、面白かったし、大人の未熟さが明るみになったからこそ子どもと大人が峻別されない社会ーゆえに通過儀礼が存在しないーになったのかと考ることもでき、なかなか示唆に富む作品でした。