正直な話、自分たち以外にもこんな風に感じている人がいるんだ…という感情が湧き上がってきて安堵さえ覚えた。
何が本当のことだったのか?
ただ、それを知りたいだけなのに。
それを聞いているだけなのに。
大事な人との時間がある日突然失われてしまったことの理由に、少しでも納得したいだけなのに。
当事者は向き合うことを拒絶し。
部外者は無責任に憶測による非難や嘲笑を浴びせ。
あるものは正しさや善意でくるんだ性欲を押し付け。
真実は、いくらでも操作できる。
吉田恵輔監督は、映画という「嘘」を通して「真実とはどこにある?」ということをまざまざと突きつけてみせる。
だからこそ、唯一の「本当のこと」が語られる瞬間が活きてくる。
責任から逃げた。
罪は生きて苦しんで背負わなければいけなかった。
本当に、申し訳なかった。
あの子の代わりに私が罪を背負って生きていきます。
心のこもらない土下座なんかよりも、よっぽどあの父親の心に寄り添う言葉だっただろう。
娘がこの世にいない以上、本当に万引きをしたのか、学校で辛いことはなかったのか、親に対してなにか思うところがあったのか、それらのことは当事者が語らない以上は本当のことは何も分からない。
最後まで、確かなことは。
娘が死んでしまったということと。
娘のいない空白の世界で生きていかなければいけないということ。
それだけだ。
まぁ……残されたものを見る限りは。
きっと、絵も好きでちゃんと描いていたのだろうし。
怯えていたかもしれないけれど、父親と同じ空を見て何かを感じとってはいたのだと思う。
あの教師のように、起きてしまった事象から何かを感じとって行動した人間がいなければ、それは知り得なかったことで。
藤原季節や田畑智子のように苦しみ痛みを共にする人間がいなければ、ラストの「折り合いなんて、何時つくんだろうな」という言葉にも繋がらなかったのだろうと思う。
正直、松坂桃李演じる店長との決着はつかないままだったのは納得いかない。
でも、それは吉田恵輔監督も答えが出せないと思ったことだったのかな、と想像する。
決着なんかつくはずがない、というメッセージなのかな。
本当のことは、私には分からない。