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マグノリアのbluetokyoのレビュー・感想・評価

マグノリア(1999年製作の映画)
4.0
群像劇の傑作。ストーリー的には、それぞれの話につながりがないんじゃないかと思えるわけだが、それを帳消しにしてしまう最後のクライマックス。これは、もう、こういうの、映画じゃないと表現できないだろ、というのを知らしめているわけである。具体的に共通しているとすれば、3つぐらいの話、子ども向けのクイズ番組である。これはおそらく親の子どもへの虐待ということだ。さらに共有しているとすれば、罪の告白と赦しである。さらに、もう一つ、共有しているとすれば、人生、積んじまったなあ、という状況だ。
人生、終わった、と思った次の瞬間、カエルが大量に空から降ってくるという怪現象が発生する。このシーンは、本当にカタルシスを感じてしまう。

クイズ番組というと微笑ましく思えるが、親バカを通り越して、子どもへの虐待だ。ただ、親どころか世間一般は虐待しているという自覚はない。
虐待されたという心の傷は、しかし、永遠に残り、子どもが成長して大人になっても残り続けるのだ。だから、罪の告白と赦しが必要なのかもしれない。
では、それが現実になったとして、どうだろう。結局、罪は永遠に消えないのだ。凝りもせず、クイズ番組は作られ続けるのだから。
ということで、人生は積んでしまう、どん詰まりになってしまうわけである。

壊れたガラスのコップは二度と元には戻らない。じゃあ、水に流そうじゃないか、これからは、心機一転だ、なんてならない。
傷を負ったものに対して、なんの恩恵も治癒も回復もないからだ。

だからこそ、奇跡を待ち望んでいる。クイズ番組に出させられている子供は、待ち望んでいる。父親に母とともに捨てられたマッキ―も待ち望んでいる。父親から子どものころ性的虐待を受けていたクラウディアも待っている。

一方、罪を告白した側、マッキーの父親、アール。アールとカネ目当てで結婚したリンダ。クラウディアの父親、ジミー。彼らは赦しを待っている。

そんなとき、カエルが空から大量に降ってくるのだ。こうした天変地異があったとして、なにかがチャラになったりはしないのだけど。
ただ、人智を越えた事がらに遭遇すると、気が晴れたりすると思うけどな。
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