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サイコハウス 血を誘う家のhorahukiのレビュー・感想・評価

サイコハウス 血を誘う家(2020年製作の映画)
3.6
誰しもにある「負」の一面としての殺人鬼

山奥のコテージを借りて週末を楽しもうとする2組のカップルのもとに忍び寄る気配。自分たち以外に誰かいるのでは…。そんな考えが薄らと高まっていく。怪しい仲介人、軒下にある開かずの間、次第にコテージに潜む秘密が明らかになっていくホームインベージョンスリラー。

このカップルの男の方は兄弟なんだけど、弟の彼女に速攻で手を出して、それをコテージ内に設置された監視カメラでガッツリ撮られてたの気づいてあたふたするのアホすぎて笑える😂監視カメラついてるから警察に通報しようぜ→でも通報したら自分たちの浮気バレる→「こんなつまんないとこサッサと帰ろうぜ」な考えにみんなを誘導しよう!って流れも笑うしかないわ🤣

徐々に高まっていく不穏へのボルテージはこのジャンルの王道。本作ではその不穏を外的要因による侵略とする以上に、内的要因による崩壊に重きを置いた作りとなっている。それ故に、侵入者はクライマックスまでは薄らとその存在感を匂わすのみでほぼ登場しない。

その代わりに大きな存在感を放つのは監視カメラ。中盤あたりで監視カメラの存在に気づくと物語は大きく動き出す。4名中2名が気づくのだけど、他の2名にその存在を打ち明けられない事情があり、次第にこの4人が抱える「負」が浮き彫りになる。

誰にも見せずに内に秘めた真実の顔を表の土俵へと引き摺り出すアイテムとして監視カメラを利用するのが面白く、それは他者だけでなく自己の直視にも繋がるある意味での神の視点。見晴らしのよいコテージはそれを機に心的な牢獄と化し、逃げ場所を無くした彼らは「侵入者」が現れるのを待つのみとなる。

本作の侵入者は非常に象徴的な存在。内部の崩壊に向けたパラメータが最悪へと振り切れた時に登場する時限爆弾。だから登場した時が彼らの終わりとなる。この発想はロメロの『ナイトオブザリビングデッド』の娘ちゃんと同様で、本作の侵入者は娘ちゃんとほぼイコールで結びつけられる。まさに内側から来る内面的殺人鬼。

そのことを表彰するように冒頭はロケーションも相まって明るかった画面が、中盤以降から異常に暗くなる。更には霧が濃くなりゴシックホラー的空間へと変貌していく。この空間移送は内面へと至るための異界化表現で、自分たちが生み出した殺人鬼に襲われるための舞台としての説得力を強くしている。

内面的な負の表象としての殺人鬼は『ハロウィン』のマイケルマイヤーズが筆頭だけど、本作でもクライマックスはまさにスラッシャーのようなテンションに変貌するあたり、意図されたものであることがわかる。最後まで絶対に顔を見せない殺人鬼は誰でもないし、誰にでもある普遍的な「負」の一面であるからでしょう。その負の一面と最後まで観客を向き合わせないところに監督の人の悪さが滲み出てる。

際立った何かがあるわけではないけれど、私はホームインベージョンスリラーとスラッシャーを組み合わせた原点回帰な良作だと感じた。

というかジャケ画像オシャレ!!
→日本版発売に伴いクソダサジャケに…😱😱
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