阪本嘉一好子

Created Equal: Clarence Thomas in His Own Words(原題)の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

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Roe v. Wade の逆転判決後、最高裁の動きが気になっている。特にクリアランス・トーマスが、次はLGBTQ+だと言ったのをネット新聞で読んだ。
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が任命し当時43歳のクリアランス・トーマスが最高裁の判事になったわけだが、オクラホマ大学法学部教授のアニタ・ヒルがトーマスからセクハラを受けたと訴え大きな問題になっていたのを覚えている。彼のことをもっと知っておかないと、最高裁での彼の動きがよく理解できないから、このビデオを観ようと思った。
ほとんどはトーマスの語りでこのドキュメンタリーは作られている。
トーマスは議会で『enigma』と呼ばれ、本当のクレアランス・トーマスはどれだ」と。「トーマスは目の前にいるのが,
トーマスです」と。トーマスはジョージア州のサバナの近くにある田舎町ピン・ポイントで1948年に生まれた。貧困家庭だった。子供の時、Geecheeと言う訛りを話していたようだ。しかし、カトリック学校で神父がらの助言で米国英語に変更。


トーマスが2歳のとき、彼の父は家族を捨てた。母親は、2人の男の子の世話ができず、トーマスの祖父であるマイヤーズ・アンダーソンのところで住まわせた。祖父は3年生で学校教育を終え、サバンナで石炭と灯油を配達した。愛と勤勉さをここで学び、兄弟はカトリック学校に通った。


トーマスは神学校に入り、司祭になるために勉強した。マーティンルーサーキング牧師の暗殺後のクラスメートの人種差別のコメントに腹を立てた。それに、カトリック教会が公民権運動を支持しなかったことに幻滅して、トーマスは学校をやめた。これに失望した祖父は彼を家から追い出した、でも、マサチューセッツ州のホーリー・クロス大学はトーマスに奨学金を提供した。そこで、ブラック・スチューデント・ユニオンの設立を支援し、ブラック・パワー運動を支持した。ここでトーマスの見解は、祖父の価値観と一致した。黒人を助けるための左翼を支持した。トーマスは、「貧しい黒人の子供たちの学校から、悪い(?)白人多数派の学校におくるのをみてなぜだ」と聞いた。

後で書く