このレビューはネタバレを含みます
第75回カンヌ国際映画祭(2022)最優秀男優賞とエキュメニカル審査員賞のダブル受賞した自身初となった韓国製作による是枝裕和脚本・監督作。
先ず第一印象だが、是枝さんの人物描写…こんなにヘタクソだったか?母国語ではない韓国語だからなのか?理解できないからなのか?日本語の脚本がうまく韓国語に翻訳されてないから?
ラストで急にテンポアップするのだが…いきなり流れが早くなるかは雑な印象を受けてしまう…というか流れが早すぎて溺れてしまったんだけど。意味分からなかった。
これは説明足らず?描写不足なのか?
単純に私の読解力の無さなのか?
イ・ジウン演じた赤ちゃんポストに我が子を託したソヨンは、ペ・ドゥナ演じる刑事と何の取引きをしたの?
いま自首すれば、刑期が短くなる?
え?それを決めるのは裁判官では?求刑するのは検察官だし…司法取引をするってこと?
ん?ペドゥナは、あの刑事課の奴らには何たらかんたらって台詞なかったかな?負けられないとかなんとか…てっきり刑事課ではなく風紀課とかそんなんだと思って見てたけど…違かったのかな?
風紀課?かなんかなのに殺人という刑事事件の方で取り引きしていいの?できるの?そんなこと?
殺人だろ?動機も殺意もあって、自首したからってそんな早く出てこれるのか?その求刑を出すのは検察官だし、その犯行を証明するのは警察だし、張り込みする過程でいくらソヨンに肩入れしようがペドゥナには何もできないんじゃね?取り引きも成立しないだろ?刑事課からしたら、ペドゥナがソヨンをいくら守ろうとしても、何も得しないんだから関係ないだろうに…。
なんかこのへんが流れてしまってよく分からないが、何か捉え間違えしてるのかな?
ソヨンと取り引きが、思い通りにできたと仮定しても…なんでペドゥナ演じるスジンがソヨンの子どもであるウソンの面倒を見ることになるのか?その心情の変化が、さっぱり伝わらない。そうだよね、それならあなたが面倒見るよねぇ…という感情移入がまるでできない。
ただただポカンとしてしまった。
頭からずっと見てて、スジンがソヨンに肩入れするようになるキッカケがどこにあったのか?なぜ3年も赤の他人の子どもを育てるに至ったのか?その大きな心境の変化の理由が全く分からない!
それは私が男だからなのか?
女性同士なら理解できるのか?
この何課か分からない課にスジンは何年いるのか知らんけど、後輩もいるし、恐らくまぁまぁベテランであろう…
ということは、この人身売買の案件は、ずっと追っかけているだろうし、もう何人も子を捨てた親や、捨てられた子と接してきたであろうと推察されるのだが…
なぜ今回のソヨンの時だけ、肩入れするの?3年も代わりに育てるほど…今まで接点のあった人らには、何も絆されることがなかったのに?それともなに、スジンは毎回、こういう子どもたちを引き取って面倒見てんの?そんなことないよね?
自分の信念が曲がるほどの大きなことが、この映画の中で起こったとは到底思えない。
少しの表情の変化や、些細な心情の変化はあるにせよ、もともとの現行犯逮捕にこだわっていた強い女性像が…急にキャラ変してるだろ?と突飛な印象を受けてしまう。
ソンガンホ演じるクリーニング屋のサンヒョンも、ラストで急に行方不明になるのも全く分からないんだけど…なんで?いきなり過ぎて、これも突飛な印象。
自分の娘に会ったから?元嫁に赤ちゃんが産まれるから?もう連絡するなと娘に言われたから?だから、急に行方を眩ますの?
え?なんで?
赤ちゃんを売って、まとまった金を掴んだら、サンヒョンは何をしようとしてたの?また妻と子どもと、やり直せると思ってたの?いままで売って儲けたお金はどうしたの?
その辺も描いてない。敢えてなのか知らんが…観客の想像にお任せしてるのか?いや、省き過ぎてヒント少な過ぎて何も分からないよ。
知り合いの息子がヤクザものになって、最後に取り引きしようと持ちかけてたサンヒョン。この取り引きもなんなのか全く分からない。
死体の横に4,000万ウォンもあったとか、ニュース番組で流れていたが…
4,000万ウォン?なくなった?どういうこと?字幕が追えなかったんだが…
なんでサンヒョンは自分だけ逃げたの?
あいつらにはもう自分は必要なくなった、とかいうセリフがあったような…
ん?どういうこと?
そもそも最初からサンヒョンと、カン・ドンウォン演じるドンスとの関係性も全く分からないから、この台詞の意味も分からない。
せっかくGPSを発見して、他の車につけて、うまく撒いたのに、なぜソヨンはスジンに居場所を教えたのか?
見守ってほしい?とかなんとかセリフがあったような気がするが…
いや…よく分からない。
どういう気持ちの変化なのか?
『カル』(1999)という韓国映画があるが、このカルの謎を解くのと同じくらい、難しい。
いや、カルの謎は、ある程度推理はできるか、ベイビーブローカーは、ほとんど答えることができない。
あと…今どきの21世紀に観覧車のシークエンスを作るとは…昭和テイスト。ものすごく古くさくて冷笑してしまった。
お台場の大観覧車も8月末で営業終了するというこの需要のないご時世に、わざわざ登場人物を意味もなく観覧車に乗せること自体が恥ずかしいというか、これがあざといということではないのか?
よりにもよって映画の中で1番か2番に感情が動くシーンをここに持ってくるセンスが…まだ黙って乗ってるくらいの方が良かったと個人的には思ってしまう。
観覧車の中で初キスを目論む童貞戦士のような…そんな小っ恥ずかしさと、安っぽさと、ダサさが際立つ名シーンとなってしまった。
ドンスが随分と長くソヨンの顔の前を手で隠すのも…なんだかなぁ…こんなことするか?童貞臭いんだよなぁ…童貞がカッコつけて、自己満で悦になってる感じというか…とにかく見ていて薄ら寒かった。
擬似家族として、少しずつそれぞれが打ち解けて仲良くなっていく過程というのも、なんか臭いのよ。是枝臭が…
「生まれてきてくれてありがとう」
これもなぁ…なんでソヨンがみんなに、ひとりずつ、それぞれに言うのかも分からない。いままで見てきたあの子の性格なら、絶対に言わないだろう…と、こちらはそう感じてしまう。
電気を消すのも…なんたがなぁ…薄ら寒い。ドラマチックを狙いすぎてる?
こんなヘタクソだったかなぁ…
ソン・ガンホの無駄遣いも…勿体ない。彼の良さを全く活かしきれてない。彼の良さをいちいち消してるかのように感じてしまう。
『王の運命 -歴史を変えた八日間』(2015)でも悉くソン・ガンホの良さを打ち消していたが、それと同じくらい無駄遣いしている。
正直、このサンヒョンなら誰がやっても同じだろう。ソン・ガンホでなくても。
やはりポンジュノが彼の使い方やキャラクター性を一番理解している。
ところどころ暗くて見えないというのも…あまり良い効果を発揮してない。
そもそも一番大きな動機が全く見えないのは…どうなんだろう?
このキャラクターの肝なのでは?
なぜクリーニング屋をしながら、赤ちゃんを売買することにしたのか?
この大きな動機は隠す必要があったのか?
少なくとも、普段の売買の風景は先ず見せるべきだったのでは?今回が、はじめてのおつかいなわけじゃないよね?
監視カメラの録画も、慣れた手つきで消してるわけだし。
サンヒョンはそもそもなんで借金したの?
クリーニング店の経営不振?
それとも単にギャンブルなのか?
離婚の養育費?
それも全く描かない。
ここは観客の想像にお任せするところじゃないでしょ?そんなの当てられないよ。ここは知らなくていい部分なのか?
ここが分からないと、ラストで自分だけ逃げる理由も分からなくないか?
ドンスは自分も母親から捨てられて施設育ちなのに、なぜ映画冒頭では、当たり前のように子どもを売る方に加担しているのか?お金目当て?
後半の彼から逆算すると、この冒頭には繋がらなくないか?
自分が捨てられて母親を物凄く憎んでいるとしても、だからといって、捨てられた子どもを自分が売り飛ばしていいとはならないのではないか?
人の傷みが理解できるのであれば、売り飛ばすことに賛成しないはず。
物語の前半と後半で、成長してキャラが変わるのは素晴らしいことだけど、その変わるキッカケが弱いというか、そのポイント自体がヌメっとはっきりしないから、見ているこちらがうまくコネクトできない。
人の傷みが分かるからドンスは観覧車で、売らなくてもいい、俺らが育てるとソヨンに告白したのではないのか?
そもそもだよ、こんな優しい心の持ち主が、捨てられた子供を売り飛ばそうとなるに至らないのでは?はじめからズレまくってる気がする。設定に無理があるのか?
そうしなくてはならない大きな理由がドンス側にも必要。
それを全て端折ってしまっているから、よくわからないことだらけのチンプンカンプン状態に追い込まれる。
洗車機のシーンも…
これもあざといと言うのでは?
なんかやることが…いやらしい。
そもそも、洗車機に車を入れたらエンジンを切るのがスタンダード。
別にエンジンを切らなくても、問題はないのだが、自動洗車機に入れたら、電光掲示板にエンジンを切って下さいというメッセージが流れる。切らなくても大丈夫だと、知っているのはガソリンスタンドの店員くらい。
なので洗車中に、普通に窓が開くことはあり得ないし、まぁエンジン切らなかったとして、もし子どもが窓を開けたら…すぐ閉めるでしょ?ふつう。後部座席の人までが、びしょびしょになるまで開けっ放しにするって…どんだけふざけてるのか?そんな遊びするかな?うーむ…まぁしないだろ。ワーキャー言って、びしょびしょに濡れてるのは…ちょっと過剰だと思うけど。
敢えて遊んでるとしても…
冒頭の方で、スジンの後輩が、赤ちゃんを捨てた母親を尾行するのだが…
ここも今どき?20世紀かっていうほど、古臭い演出をする是枝さん。
母親と、自分との間に、団体の登山客が横切り…その団体が通り過ぎたら、母親を見失う…オイオイオイオイ21世紀ですよ?
80年代のトレンディドラマかのような、ガッチガチに古臭い演出。私なら、このト書きは絶対に書かない。
そんなベタなこと…いまどきやるかね?
恥ずかしいわ。
あと、赤ちゃんポストの中にしか防犯カメラないの?
ふつう、外側にもカメラつけるよね?
誰が置いたか分かるようにしないの?
これはプライペートな部分なの?
違和感あるんだけど。
ネット記事によると、韓国は〈赤ちゃんポスト〉の扉が開くとブザーが鳴り、職員が赤ちゃんを保護する間に、別の相談担当の職員が預け入れにきた人と接触するらしい。
ブザーが鳴るのを知ってたから、スヨンは赤ちゃんポストを開けずに、その下に置いたってこと?
姜恩和さんによると〈赤ちゃんポスト〉は韓国に3カ所。2009年にソウル、2014年に京畿道のキリスト教系の教会に設置され、2019年には釜山の仏教寺院によって設けられた。預けられた子どもの数は2010年に4人、2011年に37人、2012年に79人だったが、2013年は252人と急増、以降は2018年まで200人超えで推移し、2020年までの11年間に1939人もの赤ちゃんが預けられている。
日本では熊本市にある慈恵病院(蓮田健院長)がドイツの事例を参考に、2007年に「こうのとりのゆりかご」という名称の〈赤ちゃんポスト〉を設置した。開設から15年間で預けられた子どもは161人だ。預け入れの推移は2008年度の25人をピークに2011年度以降は10人前後で、2020年度は4人だった。
日韓を比較すると日本の4割程度の人口の韓国において、日本の約10倍の赤ちゃんが預けられていることになる。姜さんは「11年間で1939人」という実態について「放っておけない数字」と姜恩和さんは指摘する。
韓国では2001年に女性庁が誕生し、2005年には家族法が改正されて戸主制度や戸籍制度が廃止された。国会議員全体に占める女性の割合も多く、政策や運動によって少しずつ社会が変わってきているとのこと。
姜恩和
「女性が子育てを他者に委ねられない重苦しさは、社会に出て働くことができずに引きこもっている男性が感じる負い目と表裏一体のように思います。性別による役割分担から『こうあるべき』という理想を自分に押しつけて苦しんでいます。思うようにいかない人たちは『自分に価値がない』と自信をなくし、追い詰められている。だからSOSが出せないのです」
サンヒョン
「1人で(子育てを)頑張らなくてもいいんだよ」
というセリフがあるが…
このセリフを言う人が、ベイビーブローカーになるかな?こんなに理解あるイクメンおじさんが何人もの赤ちゃんを売り飛ばすことができる?
そもそも最初から良い人風なんだよね。
ソヨンとの交流により、変わったというよりも、最初からそのような素養を持ち合わせてるというように見えたけど。
これだけ真っ当なことを言える人が、何人売ったか知らないけど、そもそもこの映画よりも前の時間軸の中で赤ちゃんを売れるのわけないと思う。
是枝監督は自作について
「(生みの親と離れ、施設などで育った)複数の子どもたちが『自分は生まれてきてよかったのか?』という疑問を拭えないまま大人になっていた。その子たちに自分の命を肯定してもらいたい」
これで果たして肯定してもらえると思っているのか?
是枝
「しかもドンスは自分を捨てた母親とソヨンを重ねたりもしている。年齢が逆転しているのに親子関係になっているのも面白いかなと」
親子関係には見えなかったけど…
Q:供述調書や捜査始末書という形で、キャラクターの設定資料を俳優に渡した意図は?
是枝
「もし彼らが逮捕されて供述調書を取られたら何を話すだろうかと。彼らの生い立ちを遡り、あの教会にどうやって辿り着いたのか、どういう犯罪歴があるのか、サンヒョンとドンスはどうやって出会ったのか等々、映画の表側に出て来ない部分を結構細かく書きました。スジンに関しては、なぜ刑事になったのか、旦那さんとの関係やラストで彼女が下した判断の理由など、そういうことを含めて書いています」
それ…こちらにも提示してくれた方が…
そんなに細かく設定あるんなら…