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NIMIC/ニミックのkuuのレビュー・感想・評価

NIMIC/ニミック(2019年製作の映画)
3.6
『Nimic』
製作年2019年。上映時間12分。
映画『哀れなるものたち』のギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモス監督の短編映画。
脚本はランティモス監督に加え、これまで全てのランティモス監督作品に関わってきた欠かせない相棒であるギリシャ人脚本家エフシミオス・フィリップゥが担当している。
今作品で主演を務めたマット・ディロン。
彼は『ランティモス監督のような著名な監督が短編映画を製作することは滅多にないことで、この作品でともに仕事が出来たことは私にとってこの上ない喜びです。監督の作品の構成は複雑で、果たして正しく理解出来ているのか確信が持てないことでしょう。私も度々自問自答しましたが、ある時監督にこれはどういう意味なのかと尋ねた時、彼はただ微笑んで私を見つめただけでした。おそらく監督は作品そのものが「語る」ことを好んでいるのだろうと思います。』として、ランティモス監督との作品作りについてその印象を語ってる。

プロのチェロ奏者が地下鉄で見知らぬ者と遭遇し、それが人生に予期せぬ広範囲にわたる影響を与えることになる。。。

タイトルの『Nimic』はルーマニア語らしくて、英語での"Nothing "(何もない)を意味し、"Mimic "ちゅう言葉のダジャレでもあるそうな。

名も知らぬ男が名も知らぬ街で目を覚ます。
地下鉄の車内で、彼は名も知らぬ女性に時間を尋ねる。
彼女は彼に時間を教えるでもなく、無視するでもなく、一旦立ち止まり、それから彼に時間を尋ねる。
そして彼女は彼の家までついてきて、彼の人生、家族、家から彼を追い出す。
普通なら、これがヨルゴス・ランティモス監督の『要点』やと云いたいとこやけど、わずか10分強の作品であることを考えると、むしろその大半に近い。
今作品は"超"短編で、むしろアート作品みたい。
それでいて意外にも満足できるときたもんだ。
ランティモス監督の映画には、『哀れなるものたち』でもそうやったけど、単純な結末や答え、あるいは今時の "終結 "の意味などない。
ドストエフスキーやカフカの影響を受けているのは明らかじゃないかな、
今作品は最も単純な実存的アイデアを取り上げている。
と云っても残酷で狂気じみたシュールレアリズムはなく、マット・ディロンがプロのチェリストを演じている設定には多少の信憑性の欠如かな(ディロンさんすんません)。
豪華絢爛な映像の華やかさはないけど、ただ素っ気ないスケッチに味がある。
しかし、今作品の説明のなさは、例えばミヒャエル・ハネケ監督の『隠された記憶』の閉所恐怖症的なフラストレーションとは異なり、どこか解放感を感じさせる。
見事なまでに意味深なダフネ・パタキア演じる邪魔者がコンサートに出演したとき、彼女はチェロをまったく弾けない、誰もそれに気づかないし、気にも留めない。
ランティモス監督は、この寒い時代にクールなたとえ話を提供する。
そして、決して地下鉄の中で知らない人に話しかけちゃいけないちゅうことを思い出させてくれる。
シュールで視覚的にも聴覚的にも不気味な作風は、ランティモスらしい面白い短編映画でした。
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