このレビューはネタバレを含みます
ミーコという名前が、なぜ「巳已己」という、こんな当て字なのだろう。それが、死者の幻感を醸し出すのに一役買っていた気がした。
ボクが小学校の時に死んだはずのミーコの後ろ姿をずっとスケッチしていた。ボクの今の彼女はそのスケッチを、壁から剥がし捨てるが、それはバスの中で見かけ、尾行してラーメン屋に入って行ったミーコ。
小学生の頃の面影ではなく、今を生きるいい女になったミーコ。彼女と二人の世界の中で生きる。ミーコが死んでこの世から居なくても、ボクにはミーコが感じられ、ミーコと時を共にする。そんな体験ができる人は、実は少なくないはずだ。
この世と向こうの世界は繋がっている。見える人には見え、感じられる人には感じられる。それをボクはごく普通に、自然にできただけだ。