miu

海辺の金魚のmiuのネタバレレビュー・内容・結末

海辺の金魚(2021年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

小川紗良さんは高校の2期下の後輩にあたるので、尊敬と応援の気持ちで映画館で絶対に観たかった。聖なるもののトークショー後に作中で着ていた高校のジャージの話した思い出。今までのどの作品を見ても彼女のまなざしで少女を描いていて安心する。
いい子でいなきゃはわたしにとってもくるしい言葉だった。いい子にしててね、と言われた記憶はうっすらあるけど、それより同じ家で毎日顔を合わせて受け取る態度や言葉から、自然といい子でいなきゃと思うようになった。わたし以外の家族の関係が悪くなればなるほど、わたしは味方でいなきゃ、迷惑をかけない存在でいたいと。
母親は替えがきかない。わたしは恵まれていると思うけど、それでも母親との確執はなかったことにはならない。信じたいけど信じられない気持ちや、好きだけど好きじゃない気持ち。母娘の縁は、なくしてもなくならないのだと思う。良くも悪くも。
あえて語らない引き算の描き方が、子どもたちのことを知りたいと思わせてくれた。小説を読むと、描かれていない前後や他の子どもたちのお話も登場していた。
以前児童養護施設に見学に行ったことがあったので、その時少しだけ感じたことを思い出した。子どもたちにとっての生活の場に突然知らない人たちが入ってきて、覗かれるってどういう感覚なんだろう。よくあることだから慣れてしまっているのかな。何がなんだかわかっていない子もいるんだろうなとか。お風呂は入る順番が決まってて、見学のことを知らなかった高校生の女の子がわ〜と言いながら風呂上がり姿で部屋に入っていったのがかわいかったなとか。
施設長にお話を伺って、愛着障害ゆえの苦しみや大変さなども知ったけれど、それ以上に肌で感じたことは、ただそこで生活をしていること。擬似家族かもしれないけど、本当の家族より家族の空気かもしれなかった。悲しい過去に注目されがちだけれど、小川監督は取材をした上で、そこにある子どもたちの穏やかな生活もきちんと描いていた。
児童養護施設にいる子どもたちは基本的に家庭復帰を目指すのだが、花のように施設卒業とともに、自立援助ホームに移行したり就職や大学など新生活を送る子も多い。どうか少年少女たちの未来が眩しくてあたたかいものでありますようにと願うばかりで。わたしも結局外側だから、考えることしか今はできないかもしれないけど、今よりは少しでも明るい世の中にできればいいなとただただ思う。
和歌山カレー事件にインスパイアされているような、作中の農薬かき氷事件。
気になって元の事件を調べてみると、冤罪の側面があるかもしれないことや、映画を見た同じ月に、犯人の長女の方が虐待を受けた自身の娘の死を知って、次女とともに橋から転落したらしいと知った。
どちらも何がどこまで真実なのかは当事者にしか分からない。勝手に憶測するのは良くないと自覚しつつ、本当にやるせない気持ちになった。家族であることは、救いであり絶望でもある。それでも、親は親で子ども子ども。それぞれの人生がある。それを認めない他者が、彼らを苦しめているのかもしれない。
金魚は淡水魚ゆえに海では生きていけないと言われている。花たちは、海辺の金魚で庇護される存在なのだとしても、自分の人生を自分の生きたいように泳いでいけると信じたいし、そんな社会であってほしい。
金魚鉢に投影した自分の姿は、どう映っていたんだろう。
miu

miu