Fitzcarraldo

ハウス・オブ・グッチのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

ハウス・オブ・グッチ(2021年製作の映画)
2.5
Sara Gay Fordenの著書"The House of Gucci"を原作に、Becky JohnstonとRoberto Bentivegnaの共同脚色、Sir Ridley Scott監督作。

第94回アカデミー賞(2022)ではヘア&メイク賞のみのノミネートという寂しい結果に…日本でもそんなに入らなかったのか…割とすぐに1日1回上映になった劇場が多かった印象。


GUCCI家とGUCCIというブランドを巡る実話ベースの大河ドラマ。

現在は創業者一族の手から離れフランスのパリを本拠地とするKering S.A.というコングロマリットに買収されたGUCCI。

ケリングは、Balenciaga、BOTTEGA VENETA、Yves Saint-Laurent、PUMAなどを次々と買収する巨大企業。

この事実を鑑みながら、映画を見ていると複雑な気持ちになる。自業自得とも言えなくもないが、やはり老舗を守ることの難しさや、なに不自由なく大金を手にすることができてしまう二代目、三代目の零落ぶりというか…親の光は七光という諺が未だに死語とならないのは、それが人間の本質というものなのかもしれない。

私のよく知ってる人で、サラリーマンの生涯賃金くらいの遺産を相続した人がいるのだが…急にお金が転がり込んできたら、途端に仕事もしなくなり、毎晩のように羽振り良く飲み歩いている。

これも七光りのひとつといえよう。
お金があるのに、せこせこと働くのが馬鹿らしく思ってしまうのだろう。レディガガのように美人局の得意なエロい女にコロっと騙されてしまわないか心配である。

その点、日本酒の酒蔵などは200年、300年と粛々と続いているのが奇跡とも思える。強欲に塗れることなく、身の丈の合った生活を送ってるからこそ、続けられるのか…



GUCCI一族の二代目の次男Rodolfo Gucciを演じるJeremy Irons。

その長男であるMaurizio Gucciを演じるのはAdam Driver。
有望な跡取りであり、50%の株をもつロドルフォの一人息子。
GUCCIという名前だけで、お金目当てにマウリツィオに、寄り添ってくる数多の女子たちの身辺調査にも余念がないロドルフォ。

Lady Gaga演じるPatrizia Reggianiのことを、これまで通り数多の金目当ての女との調査結果を出すルドルフォ。すでに何人もの女性が近づき、そして父のお眼鏡に叶うことなくオーディションに落とし続けてきたはずである。

箱入り息子で父を恐れ、弁護士を目指す大人しい青年のマウリツィオは童貞のはずである。

臆病な童貞は優しく筆おろししてくれる女性を常に求めているし、そんな女性に弱いのは当然であると思うが…

パトリツィアが現れる前に、積極的な筆おろしガールは全くいなかったのか?SNSのない時代は口コミの噂は近所からダダーっと広まるはずであるから、何人もマウリツィオを落としにかかる女性は多くいたはずである。

その怒涛の荒波を乗り越えてきたマウリツィオ(周りのガードが優秀だったのか?)が、割と容易くパトリツィアに落とされるのが…うーむ、どんな理由なのか?

金目当ての女という調査結果も出てるのに、なぜ周りはそんな彼女をマウリツィオから守らなかったのか?これまで守ってきたはずであるのに…それが妙に不思議に感じる。

パーティーで出会った後日、待ち伏せから尾行して、本屋で偶然を装った安い演出をするパトリツィア…あのーこれくらいの古典的手法は、GUCCI家の金のためなら誰もがやるんじゃない?いや、やってきてたんじゃない?

それなのに、パトリツィアの場合のみ、上手くいくのはどうなんでしょう…。



難なく結婚。そして出産。
しかし、この子どもをダシにしてるというか、御誂向きに使ってるというのか…

夫婦関係も上澄みしか描いてないように感じる。一代絵巻を描くには時間の制約もあるので仕方がないとは思うが…

GUCCI一族のお家騒動と夫婦仲、親子関係、全てを綺麗に収めようとすると、これくらいが妥当ともいえるかもしれないのだが…

しかし、子どもとの関係を殆ど描かないのはどうなんだろう?

マウリツィオが一方的に別れを告げているが…権利関係はどうなってる?

自立するまで面倒を見る。
部屋は住んでいい。
この2点くらいでさらりと流れたが…

財産分与は?

離婚の場合、夫の資産の半分は嫁に分けるのでは?

米Amazon.com創業者のJeff BezosとMacKenzie Bezos夫妻は、共有するアマゾン株式の75%をベゾス氏が保持し、マッケンジー氏が約360億ドル(約4兆円)相当の株式を受け取る離婚調停で合意し、史上最大の財産分与となったが…

この離婚調停によりマッケンジー氏は世界で3番目に裕福な女性に躍り出る。

半分とはいかないまでも、夫はGUCCIの株の50%を持ってるわけだから、その半分は奥さんのものにならないのかしら?その株を渡さないなら、同等の現金なり、不動産なりは渡さなくてはいけないんじゃない?親権も奥さんであるなら…

しかも、映画では夫の方に女ができた状態なわけでしょ?不倫じゃん。奥さんの方に落ち度があるように描かれてないし(事実は知らないが…)、これなら財産の半分は手にできると思ってしまう。

それなのに、
「自立するまで面倒を見る」
「部屋は住んでいい」

というこの上から目線の物言いは、東出クンの養育費1人に月10,000円というのと変わらないのでは?

そのへんは全くノータッチ!
サラリと流れていることにアレ?と疑問に思うし、このあたりの離婚調停だけで"Marriage Story"(2019)の再来のようなものが濃密なものが見られると思ってしまった。

ここを流してしまうのが妙に勿体ない気がしてしまう。ここが面白いところだと思うが、そうするとテーマがブレてしまうのかな?


しかし、別れがあまりにも一方的過ぎるし、別れを機に急に2人のチカラ関係が変わったように見えるんですけど…。元々は他人ではあるが妻になったのだから、立場は同じなのでは?

さらに女が出来て、別れてるわけだから、パトリツィアに非はないのでは?表向きでは…

あそこまで強かったパトリツィアが後半にかけて何もできないというのも…あの彼女のハートの強さなら、覆すことができそうじゃね?と思ってしまう。

その覆す手段が暗殺者を雇うというのも…
安易な方法というか…もっと前段階でどうにでもできたように見えるが…

あの占い師に頼る必然性もあまり感じないんだよな…

占い師に傾倒していく過程もサラリとしてるし、洗脳されたような描写もない。なんのために彼女と会っているのか分かりにくい。

これなら彼女を頼るしかない!
助言を聞くのも頷ける!
という流れになっていない。

なぜなら、パトリツィア自身は最初から充分な行動力も大胆さも勇気も打算的な部分も持ち合わせているように、こちらには見えているから。

それにマウリツィオの弱さ、言いなり感というか、楽に転がさられてるように見えているから、占い師なんか別に要らないのでは?と思ってしまう。

最後まで占い師がなぜいるのか?なぜ頼るのか?あまりうまく表現されていなかった。

現実にはね、朴槿恵素大統領の件もあるし、占い師にハマることについては理解できるのだが…ことこの映画の中としては、よく分からない。大した助言してないし…

そもそもパトリツィアの野心なら、新たな女をマウリツィオに近づけないようにすることなんて簡単なことのように思うが…

そんでマウリツィオも雪山で随分と簡単に好きになるなぁ…彼女の身辺捜査はどうだったの?してないの?なんで?もう大人だし結婚してるから?そんなのパトリツィアの命令でいくらでも調べるのは簡単なんじゃない?金目当てかどうか…

GUCCIという名前を聞いて、微塵も金のことが頭にちらつかない人なんて逆にいる?


パトリツィアとマウリツィオの関係が、最初は純愛のように描いていることにより、後半にかけてバランスを失ってしまってる要因な気がする。

セックスシーンも、パトリツィアは仕方なく嫌々してるんだという描写が必要だったのかな?自分から運送会社の事務室に呼び出してセックスするとか…なんかアツアツのカップルな感じから、冷めていく過程がすっ飛ばされてしまってるので、へんな感じがする。


それよりも変な感じの原因は、前の前の列に座ってるカップルの男が、上映時間の半分くらいパソコンをいじってて驚愕した!

オマエは何をしに来てるのか?!
上映中にケータイいじるのは普通に見たことあるが、上映中にノートパソコンを広げる馬鹿は初めて見た。

キミはさ…いったい何しに来たんだい?
そいでさ、横にいる彼女は、なぜ注意しないの?横にいる男が延々とパソコンを触っているのに気が付かないの?そんな不躾な男と一緒にいる貴女は、それでいいの?彼女じゃないの?友達?どんな関係か知らんけど…

何回も注意をしようと思ったが、そうするには、オレと同列に座ってるおばちゃんを越えていかなきゃいけない。その間、オレも字幕を追えないし、なかなかタイミングを逸する。

イライラして、いい加減に注意しに行こうかと腰を浮かすと、そのタイミングでパソコンを閉じる男…。

もう、しないよな…と思ってスクリーンに集中しようとすると、またパソコンをいじり始める。

この繰り返しを、後半に入るまで延々と繰り返すという…

前の前の列に移動して注意するのも面倒くさいし、後ろから大きな声を出してやめさせようかとも思ったが…これはこれで今度は自分が迷惑になる。

スクリーンの中のGUCCI一族の物語よりも、なぜこの男はパソコンをいじっているのか?その神経を邪推する方に多くの気持ちが入ってしまった。

同時進行で複雑な処理を頭の中でしている為に、映画自体を純粋に楽しめなかった!

ふざけんなよ!クソが!
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