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モーリタニアン 黒塗りの記録のkuuのレビュー・感想・評価

3.7
『モーリタニアン 黒塗りの記録』
原題 The Mauritanian 映倫区分 G
製作年 2021年。上映時間 129分。
悪名高きグアンタナモ収容所に収監されたモーリタニア人の青年と、彼を救うべく奔走する弁護士たちの姿を、実話を基に描いた法廷サスペンスドラマ。
モハメドゥ・ウルド・スラヒの著書『グアンタナモ収容所 地獄からの手記』(モハメドゥ・ウルド・スラヒは、グアンタナモでの自分の扱いは、今作品で描かれているよりもずっと残酷で非人道的だったと述べている怖いなぁ)を題材に、ケビン・マクドナルド監督がメガホンをとった。
ジョディ・フォスターが敏腕弁護士ナンシーを演じ、第78回ゴールデングローブ賞で助演女優賞を受賞。
軍の弁護士ステュアート中佐をベネディクト・カンバーバッチ、モハメドゥをタハール・ラヒム、テリーをシャイリーン・ウッドリーが演じた。

弁護士のナンシー・ホランダーとテリー・ダンカンは、モーリタニア人青年モハメドゥの弁護を引き受ける。
アメリカ同時多発テロに関与した疑いで逮捕された彼は、裁判すら受けられないまま、拷問と虐待が横行するキューバのグアンタナモ米軍基地で地獄の日々を送っていた。
真相を明らかにするべく調査に乗り出すナンシーたちだったが、正義を追求していくうちに、恐るべき陰謀によって隠された真実が浮かび上がる。

今作品はメチャクチャ深遠な映画ッてまでは云いきれないまでも、それなりに考えさせられる作品でした。
今作品は、グアンタナモ米軍基地におけるアメリカ政府によるモハメドゥ・ウルド・スラヒの違法な投獄と拷問を描いた作品でした。
ケヴィン・マクドナルドの演出は革新的で魅力的であり、特にスラヒがグアンタナモにいた頃のフラッシュバックシークエンスは効果的やった。 演技も、特にジョディ・フォスターが素晴らしい。
ちょい批評するなら、ベネディクト・カンバーバッチのアクセントが少し(正直、かなり)強引に聞こえたとこと、モハメドゥ・ウルド・スラヒ役のタハール・ラヒムは演技は巧みながら、前半で彼が弁護士ナンシーと初対面するシーンでは、彼はエゲつない拷問を受けたにもかかわらず、ガリガリになってるでもなし、精神が逝っちゃってるよなんが全く感じられなかった。
その時点で、彼の俳優としての真摯さをちょい斜めから見ちまった。
でも、全体として、これは重要な映画であり、個人的には見るべき映画だと思う。
グアンタナモで行われた犯罪や過ちを、多くの人、アメリカ人意外にも知ってもらうことが重要なんやろな。
今作品は、時に見るのがつらい映画であることは否定できないし、強引すぎる、大げさだという声も聞くが、そうであるべきテーマでもあるんかな。
そこが重要なんやとは思うさは、これは強引なテーマであり、より楽しく、より見やすくするためにトーンダウンすべきではないんやろな。
拷問受けた者たちは、拷問者が鋭利な器具で肉体を拷問することはあっても、その拷問が死に至るものでない限り、傷は数日のうちに癒える。
しかし、罪の意識拷問は、攻撃者と被攻撃者双方に重くのし掛かり早々には消えない。
普通に生きてきたとて、誓約に違反したことや、悪い行いをしたこと、そして、親切な行いをやり残したこと等々の記憶は、何年か経った後も襲いかかってくる。 
拷問の攻撃者と被攻撃者ならなおさら。
小生も沢山の罪の意識を背負ってます。
ある夜、横たわっているときに襲いかかってきて、疲れた中、自然の甘い回復者である眠りを目から追い払い、ベッドを地獄に変えてしまう。
モハメドゥ・ウルド・スラヒが受けた拷問を思うと胸が痛む。
今後、悪行の記憶が平安を妨げたり、心と良心を荒らしたりすることがないように、行いをよく守りたいとは思う。
これらの徳、つまり、真理、愛、そして、救済・慈善の実践においてこそ、人類が最もほぼ明らかにする徳の実践が、神や仏ちゅう信心や、信念や理念、それにに対する親族関係のよなもの。
チョイ云いすぎかもしれないが、もし、世界の先頭をきる国の枢要な美徳である節制、不屈の精神、賢明さ、正義が全人類によって実践されるなら、施し行為としての慈善はなくなるんちゃうかな。
偽善は残っても。
この世から追放され、悲惨と乏しさの苦難が彼らに付きまとうからやと思う。
だから、我々が施しを行うとき、援助を必要としているのは、経済的に困窮している人たちだけでなく、精神的に貧しい人たち、意気消沈している人たち、落胆している人たちも、親切で励ましの言葉、おそらくは言葉によって、心を和ませ、元気づけることができるかもしれないことを思い出すことが必要なんやろと。
書くのは易く、行うのは難しいことやけど。
安定した政治的民主主義を維持するためには、情報通の市民が必要であることは自明の理であり、これは、合理的な意思決定に必要な事実知識だけでなく、社会環境に対する洞察力と理解力を備えた市民を意味するんやろな。
法律を発見した人も、その始まりを特定できる人もいない。
教育を発明した人も、その発祥の地を挙げることができる人もおそらくいない。
また、宗教がいつ人間の道徳的領域でその地位を確立したかを述べることもできない。
○○の父やったり○○の母なんて曖昧なのなら云えるやろけど。
これらの偉大な力は、人間の魂の必要から生まれたものであり、成長と発展の結果やし、先頭にたつ国の理念も同じようなモン。
創造されたのではなく、過去から成長したのやろう。 
諸説あり、研究は続いているやろけど確かなことは誰にもわからない。
友愛が長い間存在してきたということだけは確かやし、何を信じるかは自由やとも思う。
これらは、過ぎ去った時代から、忠実な胸の中に、魂の中に、そして、書いた言葉の中に保持されている言葉と記憶と云える。
だから、人は新たな高次の概念を求めて歩まなあかんのやろなぁと。
なんか、取り留めないことを綴りましたが、少なくとも個人的には今作品は考えるべきモノを引き出してくれる作品でした。

エピローグでの流れを見たら胸が痛む。
※この先はネタバレに触れてますしお読みになる際はお気をつけ下さい。

人身保護申請を勝ち取ったものの、オバマ(バラク・オバマ)政権は上訴し、モハメドーはさらに7年間拘留された。
彼は二度と母親には会えなかった(2013年に亡くなった)。
ナンシーとテリーは交互にモハメドゥに面会し続け、ACLUと協力して彼の釈放を求めて闘った。
何年にもわたる法廷闘争の末、2015年、モハメドーは『グアンタナモ日記』というタイトルで手紙を出版した。
政府によって大幅に冗長化されたものの、この本はベストセラーとなり、彼のケースに世間の注目が集まった。
彼は14年2カ月を刑務所で過ごし、2016年10月17日にようやく釈放された。
彼は罪に問われることはなかった。
モハメド・ウルド・スラヒは再びモーリタニアに住んでいる。
2018年、彼はアメリカ人弁護士のキティと結婚した。
2人の間には息子アーメドがいる。
ビザの問題が続いているため、家族は一緒に暮らすことができていない。
彼らは保護と市民権を与えてくれる国が現れることを願っている。
ナンシー・ホランダーは弁護活動を続けている。
彼女のクライアントには、いまだグアンタナモに拘束されている40人のうちの1人や、内部告発者チェルシー・マニングが含まれる。
スチュアート・カウチは海兵隊を引退し、現在は司法省で働いている。
テレサ・'テリー'・ダンカンは、死刑事件を専門とする刑事法の仕事を続けている。  
CIAも国防総省も、その他の米政府機関も、グアンタナモで起きた虐待について責任を認めたことも、謝罪を申し出たこともない。
グアンタナモに収容された779人の囚人のうち、8人が有罪判決を受けた。 このうち3件の有罪判決は控訴審で覆されている。
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