世界大学ランキングのベスト10常連校の名門イェール大学に入るも、子どもの頃からの夢である役者になるために"Donnie Darko"(2001)で通行人の役として映画デビュー。
俳優としては、それから大きな活躍ができず、苦しもがき続けたであろうFran Kranzによる再起を懸けた映画監督デビュー作品。
さらに製作から脚本までも自身が務めたということで、このフラン・クランツさんは努力家だと勝手に推察する。イェール大学卒は伊達じゃない。
ほとんど想像の域を出ないのだが、恐らくフランツさんは…劇作家であり小説家であり脚本家であり映画監督であり女優であるという素晴らしい才能のYasmina Rezaによる戯曲『大人は、かく戦えり』を、Roman Polanski監督が映画化した『おとなのけんか』(2011)に着想を得て、被害者家族と加害者家族が4人で会うというフォーマットを下地にしてると思うのだが…
『おとなのけんか』が大好きな私としては、シチュエーションが似てるだけに、どうしても比べてしまう。
ただ…シチュエーションは同じだが起こした事件の規模がまるで違う。棒きれで歯が2本折れたのと、銃乱射で被害者多数と…
「事件に大きいも小さいもない」
『踊る大捜査線』のドラマで深津絵里演じる恩田すみれが言ったセリフであるが…2本の歯を折ったのと、銃乱射で撃ち殺したのでは、当たり前だが被害者家族の重みも加害者家族の重みまるで違う。
この時点で『おとなのけんか』のような、お気に入りの美術書がゲロまみれになったり、常に電話で仕事の話をしたりという…笑える要素は不謹慎になってしまうので全く使えない。
ここが非常にもったいないと思われた。
明らかに大きな事件としてしまったことで、不謹慎からは距離を取らざるを得ず、大きく逸脱することは許されない状況にしてしまったことで、逆に小さくまとまってしまった。
その逆に『おとなのけんか』は、小さな事件としたことで、大きく映画として飛躍した気がする。
対峙
→山などが向かいあってそびえ立つこと。また、人や軍勢など、対立する双方がにらみ合ったまま動かないこと。
この、睨み合って動かないことが、この映画を退屈にしてしまった要因だろう。
丸テーブルを挟んで向かい合う4人。
文字通りまさに対峙するのだが…この椅子に座って話し続けるの、ただただずっと聞かされてるのは、見ていて疲れるし飽きる。単に字幕を追ってるだけのゲームのよう…。
もちろんそうならないように、カメラのポジションを変え、編集で飽きさせないようにリズムを変えてはいるのだが…
水を取りに一度席を立ったのと、後ろの席に移動したのくらいかな?人物が動いたのは…
内容も内容なだけに、絶対にそこから逸脱することはないだろうという予想が簡単にできてしまう。そうすると、よくある展開というか…まぁ大体そうなるよな…という見てる側を驚かすようなことが何ひとつ起きない。
その予想をうまく裏切ってほしいのだが、そうはならない。だからなんとなくこうかな?という予想した範囲内の展開しか起きないものを見ても…退屈なだけ。
朝イチから見たからなのか、退屈だったからなのか、前夜の『別れる決心』に続いて、またしてもうとうと寝てしまった。
本作は少しくらい寝ても何も状況は変わらないので、全く影響はなかったのは幸いであったが…
劇場で寝てしまうことなんて、これまで滅多にないことだったのに、2本続けて寝てしまった自分のコンディションにも何か原因がありそうである。
あれだけカメラを切り返しても、超自然に繋がっているのは、役者陣の演技の賜物である。あの芝居を何度もカメラポジションを変えて演じたのか…と思うと本当に素晴らしいし、ものすごい疲れただろうなと、最後まで突き抜けた役者陣にしか目がいかない…