Fitzcarraldo

ベネデッタのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

ベネデッタ(2021年製作の映画)
3.3
「メディチ家雑録」に残された宗教裁判の記録から修道女ベネデッタの物語を再構成させたジュディス・C・ブラウン著の『ルネサンス修道女物語~聖と性のミクストリア~』を原作にした82歳の時のPaul Verhoeven脚本監督作。

2021年のカンヌ国際映画祭プレス会見で記者から、本作の内容が冒涜的ではないか?という意見に…

「史実を基にした原作から映画を作って、なぜ冒涜的というレッテルを貼られなければならないのだ。あまりにも馬鹿げている」と一蹴する現役感しかないバーホーベン翁。

80代にして尚、血気盛んにゴン攻めしている翁には尊崇するのだが…

冒頭。

緑の多いのどかな田舎道。
馬車の一群がマリア像?キリスト像?どちらか忘れてしまったが…を見つけて停車。

馬車から降りて祈りと歌を捧げる幼少期のベネデッタ。

そこへ、いきなり音もなく野武士だか素浪人だか荒くれ者の一団が現れる。
文字通り音もなく…スーっと幽霊の如く、いつの間にやら目の前に現れる。

そして…これまでもう何万回も擦られてきたであろう、超ありきたりな感じで襲われる…金目のものを置いていけと…

いやいや。さすがに無防備すぎるというか…不注意すぎるというか…

視界を遮るものが何ひとつない、あんなに開けた、ヌケの良いところで、目の前に来るまで気づかないとかある?

あれだけの団体なら、遠くからでも聞こえると思うけど…蹄の音が。

いきなり目の前に現れて、「キャア!」みたいな展開は…21世紀では厳しいのではないか?

その賊からベネデッタの母のネックレスが奪われると…また突然に、神の声が聴こえると幼いベネデッタ。ネックレスを返さないとオマエに罰が当たると…

そこへタイミングよく鳥の糞が、その賊の顔へ落ちる…

ほれ見たことかと…気をよくして、それが神のお告げなんだと…捲し立てるベネデッタ。

慌ててネックレスを返し、その場から大人しく立ち去る賊の一団。

このシーンは丸ごとカットしても何ら問題はない。

ベネデッタは幼少期から特別なチカラがおったかのようにミスリードさせたいのか、本当にチカラがあったのかは分からないが、どうしても取ってつけたようなシーンにしか感じられない。

そもそも、こんな優しい賊もいないだろ?

素直にネックレス返して退散って…
そもそも荒くれ者たちが神なんてものを最初っから信じてないだろ?だから悪いことして生きてるんじゃない?

罪とか罰とかを考えてたら、ああいう人にはなれないだろうに…鳥の糞が顔に落ちてきたのを、神のお告げとする方が強引だと思うけど。それで大人しく退散というのも…ん~かなりモヤモヤする。

冒頭から躓く。


修道院

Charlotte Rampling演じる修道院長。
なんとも言えぬ独特な顔立ちから嫌な感じの雰囲気が最高に出ててナイスキャスティング。演技どうこうも当然あるだろうが、母国語でない限り字幕を読むので、細かなニュアンスや台詞の言い方、言い回しは母国語でないと解らないので、どうしても顔や雰囲気で判断する要素が大きくなる。なので顔である。

芝居が下手くそだったとしても、顔が役にマッチしてればキャスティングするべき。黙らせて顔だけ映しておけばいい。

ジャニーズだからとか、いま旬だからということだけでキャスティングする日本の業界の体質が早く駆逐されることを願う。

北野武は下手くそな役者は背中向けてしまえばいい…と割り切っていた。そんな思いきりも必要だろう。


さて、修道院といえばもともと薬用酒から発達したリキュールを作ってるということくらいしか知らず(シャルトリューズは未だに修道院で作られてのかな?)その他のことはぼんやりしていたのだが、お金を払わないと修道女になれないということを初めて知る。

100ペニー?金額も単位も忘れてしまったが、とにかくそれを払わないと娘を預からないと修道院長。他にもこれだけのライバルがいるのよと言わんばかりに書類の山積みを指す、修道院長による厳正な?オーディションが始まる。


ベネデッタが大きくなり、両親は修道院長とベネデッタと会食?面談?久しぶりに様子を見に来たのか、詳しい描写は忘れてしまったが…そんなある日。

ベルギー出身のDaphné Patakia演じるバルトロメアが修道院に駆け込む。父親からの性暴力?虐待?を受けてるから助けてほしいと…

修道院長は例の如くお金を払えと…そっけない。バルトロメアはベネデッタに泣きつく。

ベネデッタは父親にお金を払ってあげてと頼む。

自分の娘ベネデッタを修道院に入れる際に、金額を値切るような父親が、どこの馬の骨かわからん行き当たりばったりのバルトロメアにお金を払うとは到底思えないのだが…なぜ払うのか?それなりの理由が欲しい。なんとなくで流さないでほしい。今後の展開に必要だから…という以外に物語上の必然性を担保してほしい。

結局、馬で払ったんだっけな?細かいところは忘れてしまったが…とにかくバルトロメアはベネデッタの父のお陰で修道院に入る。

なぜベネデッタはバルトロメアを気に入り、なぜ彼女もベネデッタを気に入ったのかの流れがよくわからない。

一目惚れのような感じですけど…こちらから見てる限りは…

バルトロメアが現れる前までは、ベネデッタの中では性に対してどう向き合っていたのか?バルトロメアが現れた所為で急に沸き起こった気持ちなの?バルトロメアが目覚めさせたの?

バルトロメアは父親から性暴力を受けてきたのではないのか?それなら尚更、性暴力の被害者=性に奔放というのは当てはまらないだろ?

性暴力を受けてきたからこそ、畏怖するものじゃないのか?性から遠ざかるようになるのでは?それを拒否するようになるのでは?

半ば、バルトロメアの方からベネデッタをリードしていくように見えるのも違和感。

それをまた簡単に受け入れるベネデッタも…ん〜ぅどうなんだろう。

2人がチョコチョコ性的な関係に至るには、もう少し長い期間の過程が必要な気がする。あまりにもさらさらと展開することに違和感がある。


「神の愛?自己愛でしょ」
いい台詞なのでメモしていたのだが、誰のセリフだったか、どこで言ったのか覚えてない。バルトロメアがベネデッタの言ったのかな?


大教皇だかなんだか役職は忘れたが、偉そうなジジイの方がよっぽどベネデッタよりも散臭い。豪快に母乳を飛ばす女性を普通に孕ませて、より俗な男として描かれる。

誰もが崇めている対象の内実はこんなところだろう…ただただ権力欲にまみれ、必死にその立場にしがみつくだけの薄汚い人間こそが、神の使い手と偽り、弱き者を救うと偽善ぶる。

これは現在の日本の政治家となんら変わらない。違うのは国民から崇められていないだけ。


鑑賞から日にちが経ち印象も内容も殆ど覚えてないので、バーホーベンの気概を感じるインタビューを…

バーホーベン
「人々が好むようなそういう映画は観ていない。2~3億ドルで作られる映画で、業界が考えるのは収益のことだけだよ。2億ドルかけて作り、1億ドルかけて宣伝。そうしたら10億ドル稼いでトントンだ。だから、なるべくリスクを少なくするというのが重要になる。そうした映画を作るんだったら、観客を動揺させないようにしないといけない。挑発的であってはダメだし、ポリティカリー・インコレクトではダメで、世界を邪悪に描いてはいけない。業界が考えているのは、勝つこと。全ては金だ」

お金の規模が違うだけで日本の業界も全く同じ体質。


バーホーベン
「『エル ELLE』の製作費は800万ドルというハリウッドでは取るに足らない額で、こっちが何をしようが誰も気にしない。でも『スーパーマンvsスパイダーマン』は観客みんながハッピーに!という感じで作らなくてはいけない。そうでしょ?これは僕の意見だが、こうしたことは映画をつまらないものにしている。もちろんテクノロジーの革新は大きく、大部分をデジタルで作ることができ、巨大なスペクタクルを生み出すことができる。でも、常にポリティカル・コレクトネスに左右され、観客を喜ばせなくてはいけない。彼らは映画館を出たら『いい夜だね』と言うわけだから。それが、彼らが求めているものだ」

バビロンのエンドロール中に、ずっとスマホの画面を光らせて隣の彼女とスマホの画面を見ながら話していたカップルは、映画館を出たら「いい夜だね」と、きっと言っていることだろう…

 
バーホーベン
「僕は“いいアート”とは、時に心をかき乱すようなものだと思うし、そういうものであるべきだ。それは観る者を動揺させ、怒らせなくてはいけない。確かにアートは“美”だが、“美”だけであるべきではない。矛盾があり、人々を動揺させ、彼らに違う考えをさせるものであるべきだ。彼らを不安にすべきだ。僕はいいアートは挑発的で、大胆で、ちょっと平手打ちのようなものであるべきだと思う」

この発言…すごい好き。
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