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地獄の門 4K レストア版のryosukeのレビュー・感想・評価

地獄の門 4K レストア版(1980年製作の映画)
4.5
「ファニーゲーム」「処刑男爵」「地獄の門」という尋常ではない三本立てを見て疲れ果ててしまった。大傑作。
「マンハッタン・ベイビー」と同じように、ある瞬間に異界と現世が接続されてしまう本作。「マッキラー」でもカトリックに邪悪なイメージが付与されていたが、本作も神父の自殺という禁忌が「地獄の門」を開けてしまう。閉鎖的な村ではぐれ者の呪術者マッキラーが冤罪でリンチを受けるように、本作でもどうやら知的障害があるらしいボブに根拠のない憎しみが向かう。この辺りにフルチの作家性が見えてくる。極限状態で理不尽にも異質なものに向かう怒り。死の世界の者がもたらす怪異と同列、あるいはそれ以上に現世の人間の性質を残虐に描くことで現世にも確かに地獄があることを教えている。どう考えてもやり過ぎでリアリティのない唐突なドリル貫通の異常さは、そのような信念に貫かれているのではないか。
霧の充満する光景をボブが歩いていく(顔色も悪いしこの時点ではゾンビかと思っていた) ロングショットに続き、家に侵入したボブが箱から何かを取り出し放り投げると、気色の悪い女体空気人形が起立する。アルジェントなら「サスペリアPART2 」「フェノミナ」バーヴァなら「呪いの館」と、この辺のイタリア製ホラーの異常に怖い人形は何なの。蛆虫ならアルジェントというイメージだが、開け放たれた窓から蛆虫の雨が降り注ぐフルチの蛆虫も凄いぞ。
バーで三人の男が写った鏡が割れる。この不吉な予感の惹起の手法はまあ良くある(とはいえ鏡の割れ方の巨大な力が一気にかかってボコッといく感じは独特のインパクトがある) が、続いて壁まで豪快に割れてしまう。フルチは「予兆」の描写もド派手だな。
ミミズやら何やら蟲混じりの泥を顔に擦り付けてくるゾンビ嫌過ぎる。死者を描く際にはゾンビのようによろよろと近づくようにするか瞬間移動をさせるか、そのどちらもあり得るが、本作はそのどちらかを選択することもせず混在しているお祭り騒ぎ。
棺桶の中にカメラが侵入し青白い死体を映し出すのだから当然目が開く。早すぎた埋葬という題材って本当に怖いなと思う。本作では脱出しようともがいていたら上からツルハシが棺桶を突き破ってくるのだからなお怖い。
ストーリーも人物描写もあってないようなものだし、(見終わってもほとんど誰の性格も説明できない)主人公?二人組がダンウィッチを探す動機付けも果てしなく薄い。しかしそんなことは気にせず天才フルチのホラー映画的想像力が爆発した強力なイメージの連鎖を浴びていればよい。天井から滲み出てきた血液(染み出す血は「マンハッタン・ベイビー」にもあったな)がミルクに垂れ落ち、割れた窓ガラスは血を流す。霊と目を合わせた女(ダニエラ・ドリア)が血涙を流し、臓物という臓物を吐き出し、終いには割れた頭蓋骨から脳みそが溢れ出る。高所から飛び降りるゾンビや脳みそを食らう馬鹿でかいネズミ...。
地獄の門の入り口に侵入するラストシーンで、四つ打ちから始まる勇ましい音楽がかかると、霊能力者宅で見せていた謎の火を人体自然発火現象として回収してくれるやりたい放題。普通に物理攻撃でいけるのね。どう見ても事件は解決したはずなのに...というラストはバーヴァの「リサと悪魔」もそうだが、この辺りの連中に常識は通用しないようだ。二人が墓から出てくる様子はどこかゾンビに特有の挙動を思わせるし、再会を喜ぶはずの笑い声も不気味に響く。“non”の叫び声と共に、作中で死の予兆を示した鏡、窓ガラスのイメージを引き継いで、理解を拒むように画面が黒くひび割れていく。「マンハッタン・ベイビー」もそうであったように、一度開いた地獄の門はもう二度と閉じることはない。
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