猫脳髄

フルチトークスの猫脳髄のレビュー・感想・評価

フルチトークス(2021年製作の映画)
3.8
2023年秋のフルチ祭り⑩~インテルメッツォ

1993年にローマで収録された映画監督ルチオ・フルチへのインタヴュー映像をメインに据えたドキュメンタリー。フルチは1996年に68歳で急逝しており、インタヴューの時期には主要なフィルモグラフィーはほぼ撮り終えていることになる。

糖尿病や肝硬変の合併症に見舞われ、ゲッソリした車いす姿ではあるが、受け答えは才気煥発で、生い立ちにはじまり、わが国ではあまり知られていないコメディ監督しての出発、ジャッロとホラーでのブレイク、作品解説や影響関係、さらに家族、趣味、政治とテーマは多岐にわたる。

フルチは自身のマインドを「(穏健な)アナーキー」であり、ゆえに「ジャンル破壊者」であると主張する。コメディ、西部劇、ジャッロ、ホラーとジャンルを横断しつつ、そこに爆弾を仕掛けていく。過剰な人体破壊表現もそのひとつだろう。フルチ珠玉の発言をいくつか拾い上げておく。

ーテーマについて
「…なぜなら死後の世界を疑っているからだ。実際、私にとって永遠のテーマは疑念と罪だ」

ー映画監督について(リカルド・フレーダ、マリオ・バーヴァ、ダリオ・アルジェント)
「バーヴァ以外はアイロニーに欠ける…私の映画にはアイロニーと遊び心があると思う…(アメリカ映画を発祥として)ホラーに遊び心を持たせるという流れだ」

―ホラー映画について
「ホラーはアイディアだ…恐怖が人間に起因するのはホラーではない。人物は重要じゃない。無条件な自由が大切なんだ」
「疑念は中心的アイディア以上にホラーやスリラーの基本だ」
「ホラーはアナーキーだ。なぜならホラーにはモラルの土台がない」

―ダリオ・アルジェントについて
「彼は悪夢のなかの住人だ。彼がレジェンドなど冗談じゃない。私は極限まで行くが、彼は常に自分の夢の中だ」

―目と視力の喪失のテーマについて
「ダダとシュルレアリスムからの正確な引用だ。私にとっての目は欠落だ。欲求不満の目、切られた目、破壊された目、論理の喪失も意味する。つまり、私は良識の終焉として、または完全な自由として目を破壊している」

―人生の5作品
ジャン・ヴィゴ「アタラント号」(1934)「新学期・操行ゼロ」(1933)、エドガー・G・ウルマー「恐怖のまわり道」(1945)、フェデリコ・フェリーニ「アマルコルド」(1974)、トッド・ブラウニング「フリークス」(1932)

「ホラーにはモラルの土台がない」けだし、名言である。
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