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私ときどきレッサーパンダのLCのネタバレレビュー・内容・結末

私ときどきレッサーパンダ(2022年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

面白かった。

子に対する親の姿勢や考え方はどこからくるのか。更にその親の存在も出すことによって、受け継がれたものを理解した上での子の選択が強い印象を残すような、そんな作品。

主人公の考え方の推移がわかりやすかったり、その時々の感情も理解しやすかったりして、その上で表情や仕草にクスッとさせられる。
友だちもみんな魅力的な人たちで、愉快で、明るくて、確かに世界一好きな人たちだよな、と納得する。
しかしだな、内に秘めたい、でも表現せずにはいられない、その発露として描かれたものをそこら中に貼り回るのはギルティだぞ。笑えるか?その感覚おかしいぞ。わかるか?なあ坊や。

強い感情で姿が変わり、姿が変わると感情の歯止めが効かなくなる、というような解釈を複数人がしている場面がある。
確かにそう見えるけれど、きちんと表現する必要のある気持ちを、表現させる機能のようにも思える。他者にぶつけるというより、自分の目に見えるように、的な方向で。
蓋をしないで、向き合う為に、自分自身がその感情の表現媒体になる、というか。気付いてその気持ちを受け入れられると、自分にとって良い力に変換できる。しかし人は、自分の姿を自分で見つめることが難しかったりするんだ…
自分にとって良い力に変換できた身近な人が、きっと誰にもいなかったんだね。
制御不可能な恐ろしいものとして、その恐怖からくる数々の視野の狭さや考え方の偏り、目立つ行動から、自分の気持ちを見つめてありのままを受け入れる難しさ、そもそも、その必要性に気付く困難さを感じる。

しかしだな、しかしだ、レッサーパンダ姿で右往左往どったんばったんする姿があまりにもかわいい。そして表情の豊かさがトドメのように目を釘付けにする。
私もグッズほしい。帽子としっぽほしい。
わがままを言えるのであれば、あの大きなしっぽに包まれて日向ぼっこしながら寝たい。
姿を変える際の衝撃で2段ジャンプしたり、落下の衝撃を吸収したりっていうのはもうそれは、なんかこう、片腕上げてヤッホウ!的なそれに見えたり見えなかったりする。空中にコインが配置されてたら危なかったかも。
個人的には、超巨大レッサーパンダさん、目元がかっこよくて好き。私もしかしたらお父さんと話が合うかもしれない。知らんけど。

曲の力に関しては、気持ちがこもれば曲そのものは何でも良い、というのも好き。
彼女たちが年頃の女の子の持つエネルギーと憧れで以て熱狂する様は、実際何らかのライブに行ったりすると音楽の力を体で感じられることあるから、見ていて気持ちを乗せやすい。大勢の人が音楽で力をひとつにする。
私だったら、どの曲を選ぶだろう。
とりあえずEDで、ワンフレーズにワンフレーズ追いかけを繰り返し、「大きな声で!」と煽られる瞬間、声出して答えたくなったりはした。あの曲でも全然良さそうだな。

常に大らかに共にある父親が、あたたかく、やわらかく、最後に愛嬌ぶっ込んでくるのも最高。
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