このレビューはネタバレを含みます
「あなたはこれから、独りでいることに堪えて もうひとりの自分を見つけなさい」
最後のシーンのワンショットに室内から窓外にある雪だるまを捉えたショットがある。
この雪だるまは誰が作ってどのような意味を持っているのか?また序盤と終盤に出てくる謎の少女。終盤に謎の少女の主観ショットが何故アンドロイドの主観ショットなのか?初見では分からず、再度、再再度とぼんやりと計3回観ました。
雪だるまは冒頭のタイトルバックで主人公の幼少期と思われる男児が作っている場面があるのを3回目の鑑賞でやっと気づく。
人を象った物体としての雪だるまを作る姿は後にアンドロイドを造る事の暗喩でありそれを最後に挿入する意味。
ここからは私の妄想。
主人公の桐生薫は母親の遺言の通りにもうひとりの自分を見つける為にまず自分の複製としてのアンドロイドを造る前に母親の複製として謎の少女を造る。もう一度自分を産んでもらう為に。(それほどに母親に囚われているのは度々焼身自殺する姿を幻視している事からも分かる)けれども謎の少女は新しい自分を産める訳がなく、謎の少女は自分の存在意義との乖離から自身の姿が見えない。(ただ産婦人科に通おうとするだけを繰り返す)
次に桐生薫は自分の複製としてのアンドロイドを造る。僕は誰も殺せないと謎の少女に言ったように自分の代わりに父親を殺させる為に。母親の復讐の代行として、自身の復讐を代行させる為に。
腹違いの弟の妨害と父親の自然死による父殺しの頓挫によって飲めないと言っていた酒を飲み桐生薫が自殺したと思われる場面の後に最後のシーンが始まる。
雪の中を謎の少女が桐生薫の家を訪れて桐生薫のアンドロイドと抱擁を交わしてこの映画は終わる。雪だるまのショットが挟まれる事から時制は意味を成していなく走馬灯的であり、これは桐生薫が死ぬ間際に夢見た事なのだと思った。擬似的な自分と母親の抱擁で終わる。狂おしいまでの母親への思慕。こんな屈折した母親への愛情が描かれた事があったのだろうか?