阪本嘉一好子

Brother's Keeper(原題)の阪本嘉一好子のネタバレレビュー・内容・結末

Brother's Keeper(原題)(2021年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

衝撃的な映画でしばらく動けなかった。トルコのヌリビルゲジェイラン監督の昔々、アナトリアで(Bir Zamanlar Anadolu'da2011年)を観た時と同じようなショックを受けた。それは、私の期待と全く違った方向に結果が進んでいくから。それに、英語のタイトルは「Brother's Keeper」で
この意味は自分のことはさておき、人のために尽くすことであって、そこには兄弟の契りのようなものを感じるのかと思っていた。トルコ語?のタイトルは「Okul Tirasi」といって、翻訳機にかけると学校で疲れちゃったという意味らしい。監督はクルド人だが、映画はトルコ語で、時々しかクルド語が使われていないのでこのタイトルはトルコ語だと思う。
映画の時代はいつかはっきりしていないが、携帯を使っている時代だ。トルコがクルド文化を認めず、ヴァン(Van)にある寮生のクルド人男子学校でトルコの教育をトルコ語でさせて、クルド民族の文化のアイデンティーティーを抹殺し、地理学の授業は東クルド人地域はトルコだと教えている。そして、東アナトリアは東トルコというと説明を入れている。

こういう授業がトルコ政府のもとで行われているわけだが、でも、クルド人の生徒のアイデンティーは強く、先生にも自己主張を堂々として、余計、殴られたりする。こんな調子で話が進むので、私は民族アイデンティーティーが主テーマの映画だと思い、主人公ヨセフ(Samet Yildiz)の歯がゆい動きや言動をよく追っていなかった。この映画は最後まで、何が主題なのかを見せないから主題がわからなかった。少なくても、洞察力が深くて多様的に観察してないと見逃すだろう。

ヨセフは正直に告白できなかった。そのチャンスはどこかでいつも遮られていた。大人、または先生中心の社会で、聞く耳を持たない人ばかりいる社会。ヨセフは友達メモ(Nurullah Alaca)を助けたかったから行動に移した。そこで自分で失敗してしまうとすぐ自分の責任だと言えるタイミングを見つけるのは難しいかもしれない。だから責任逃れに解釈されて正直さを失ったとして罰を。ヨセフはこれからそれを学べるだろうか?

中央集権教育でクルド民族という多様性を認めない。ましてや、教育施設に不備は多いし教職員は生徒の話を聞こうとしない(トルコ語の先生を除いて)し、上下関係の中で自己弁護のため言い逃れを探す教育者に育てられ似たような道を踏むしか方法のなさそうな生徒たち。そこで一言も言い訳をせず、ヨセフはやっと質問されたから事情説明の機会を得る。これでいいの?


余禄
私の記録としてここに残す。

「クルド人のアイデンティティ、言語、文化を消そうとする中央集権トルコ政府の学校でHamza先生は(Cansu Firinci)メモと(Nurullah Alaca)と他の二人の生徒に罰を加えてる。真冬の雪が降る山間部の古びた学校で暖房も満足にきかない寮で学んでいる生徒の中で11歳のメモとほかの二人は『冷水の刑』に。主人公ヨセフとメモは同じ部屋で、メモの「寝られない」という言葉でヨセフは起こされる。これからの部分は結末で解明されるが、私はそれほと疑問を持たず観ていた。起床時間は決まっていて、雪の中、学校長(Mahir Ipek)は生徒を立たせて朝礼をする。その訓示は一言でいうと、タダで衣食住、それに週に一回体を洗えることに感謝せよと。それでも不平を言うのか、世界に価値のある市民だという見本を見せよと。クルド人の男子生徒は好きでここにいるわけじゃないんだよと思って見ていたが、校長の挨拶なんてどうでもよさそうな雰囲気が伝わってくる。ある生徒は規則違反して寮を抜け出て行ったようで、朝礼で全校生徒の前で髪の正面真ん中の一部を剃られる。みせしめだね。髪は長くするな後ろも横も短くと言われる。タバコを吸うことはバカで罪だと。ある生徒たちは校長の話をきいていず、『奴(生徒)はイスタンブールの娼館まで行ったんだよ』と。距離感がなさすぎるが、閉鎖的な場所に押し込められてるからね。

クラスに入れば、トルコ語の先生はトルコ語の文章を書いてここから間違いを見つけよと。
間違いから習えという古いメソッドで言語を教えているが、生徒は全くわからなさそうだ。かわいそうに一人の生徒が、学校に入学するまでトルコ語を話したことがないんだよと。先生は理解を示す優しい先生のようだ。また他の生徒がメモは『TB ...AIDS...』あらゆる病気だから休んでいるという。なぜ、こんなに色々な病気について言うのか不思議だったが、多弁の生徒のようでいつも何かを言っている。先生は一言加えるが、私はその言葉を忘れちゃった。それから、地理の授業。人口密度の話だが、ある子供は1家庭に8−10の子供がいるから人口密度は高いと。でも、先生は人口流出が人口密度を低くしていると。この地理の先生はトルコの中央政府から来たような融通の利かない、教育には答えが一つと思っているようだ。私もこういう環境で育ったから、息苦しさを感じてみていた。

校長は寒空の中で修理人と話している。校長は自分の車にスノータイヤを巻いてなく、それに、あちらこちらの故障を指摘される。生徒を乗せるから学校の車として使うようにともアドバイスされ、学校の経費になりそうだ。そのあとすぐ、メモを医者に連れていくように話が進むが、校長はドライバーを呼べと。

しばらくの間、学校の看護師のいない保健室でメモは頭痛薬を飲まされ、寝かされている。ヨセフは何度も何度も看病にやってくるし、自分のパンも半分をメモのためにと持ってくる。献身的な介護で、これを「Brother's Keeper」というのかと観察していたが、ちっとも笑うわけじゃなく、いつも憂鬱そうな顔つきで、一人になっていることが多い。授業は身に入らず外ばかり見ていて、ちょっと変だなとは私も思っていた。

メモの容態に生気がないので校長は救急車の手配を始めた。しかし、ネットのつながりが悪く、連絡がしにくい。それに大雪。賢い生徒が椅子の上に立って電話をすると繋がるよと。生徒たちはこの寮でいかにサバイブするかよく知っているね。

これからはトルコのヌリビルゲジェイラン監督の作品も出てくるが、傑作の箇所だ。黒澤明の『生きる』の最後の職員が公園建設は誰の功績か言い合うシーンにも似ている。でもここでは褒め合わない。ここでは校長がメモがこうなったのは教師の責任だと言わんばかりに教師一人ひとりを呼び寄せて追求し始める。メモの救急班のボスにされたようなセリム(Selim Ekin Koç) 先生、それに、水掛の刑罰を与えたHamza先生、そして、水掛の刑罰をくわえられた二人の生徒。ヨセフがここでも何か言おうとしているんだけど、誰も聞こうとしない。なぜ、メモの意識がないのか先生たちはわからない。
ストレスが溜まっているようで二人の先生が外に出てタバコを吸い始める。一人の先生が、「人が見てるよと。』もう一人の先生が『見させろ!』と。校長も出てきてタバコはないかと?

ヨセフは生徒の一人に携帯を無理やり借り、外に出て、影に隠れ母親に電話をする。『友達が病気なんだよ』と母親に泣きながら伝えるが、母親は全く聞こうともせず理解も示さない。それはまるで、校長の朝礼の訓示とおんなじ。最後まで見てから分かったんだけど、ヨセフの最後の行き場が母親だったんだね。

それから、最後のほうは先生の罪の擦り合いになる。
ヨセフはヨセフで罪の意識を感じてるようだ。その夜、メモが怖くて、寒いから今晩一緒に寝てよというのを拒んでいるから。

最後に、ボイラーマンでシーツを洗濯する男性まで呼び出され、『なぜ、生徒をボイラー室に入れた』責任を追及される。答えは、『メモが射精をして体が汚れているからシャワーに入らせてくれ』と一緒に来た生徒に言われたからということだった。その生徒は誰だとボイラーマンは校長に追求される。校長は次々に生徒を指すが、ボイラーマンは『小さい子』だったと。それは、ヨセフ。『I hanged an iron thing with my hand and it fell off. Then the pipe broke and fell on Memo's head』と。この言葉で皆は呆気に取られる。ここは私の理解だが、ヨセフは『メモはおしっこを漏らしたからシャワーに入れたかった』と。

雪の中、救急車が到着。セリム(Selim) 先生一緒に行けと校長が。

その後、ヨセフはシャワーを浴びながら顔を上げる。その顔は中央真ん中の髪だけ剃られているが、睨んでいる。ヨセフ、あなたは何を言いたいの?

メモは助かるだろう。