信じられないようなことを成立させるのがスペクタクルだと思う。魅力的としか言いようがないオンボロのガチャついた船でガタガタと闘いに挑むのは興奮するけど、止められない意地が魅力的な船も次第に街のキチガイ的>>続きを読む
デカくてモダンな建物を背にした前半も好きだけど、室内の後半もめちゃくちゃ面白い。狭くてやたら何かがぶら下がってる散らかった密度の高い部屋で、異様にかっこいい動作が連続する。睡眠不足で緩慢になった動きの>>続きを読む
変化と変形。車のフロントガラス的ワイドスクリーンから見える景色は走行というより滑走してるように激しく移り変わるけど、実は景色の方が動いていたというヘイルズツアーズの歴史を継ぐドライブPOV。結局何も変>>続きを読む
画面に映るものだけが絶対的な真実ということが貫かれていて、イメージの優位性を高めたいがために、カメラが捉えることのできないウソ(言葉)によってカップルが貶められていく。その徹底ぶりは、ラストで声が聴こ>>続きを読む
窓から星条旗が侵入してくる、ハイパーアメリカ映画。独立記念日に巨乳と海軍がダイナーとモーテルに立ち寄るという、典型的なアメリカ記号が過剰なほど山盛り。火山、パターゴルフのコース、列車で騒ぐ豚、腰振りフ>>続きを読む
早すぎた和製ネオ・レアリズモ。
前半の乱立する電柱と工場の煙突が、職を得た後には空になった徳利の乱立に変わる。宿のあるなしで区切られた前後半、室外から室内への変化によって、前半に映っていたものが後半に>>続きを読む
声を出さずに笑わせるには変顔しかない。突貫小僧とその後ろにいる我々へのアピール。でも俺らは子供じゃないから、変顔で引き寄せられて攫われたりはしない。
死ぬためだけに配置された人々と人を殺すためだけに存在するような電動メス、全ては死んだ顔のピーター・カッシングが自尊心の強いモデルババアの妻のためというどうしようもない動機が最高。静かな前半から段々テン>>続きを読む
桑野遠子の存在が変則的なスクリューボールコメディにもなってる。ビンタされた後の栗島すみ子がやけに色っぽい。
実際には社会的な階層があるとしても、映画に取り込まれた以上はダンサーも黒人の清掃員もオペラ座の一部として全くの対等になってる。瞬間瞬間の強度こそ重要なので、映っている時間の長さは関係ない。ダンサーどこ>>続きを読む
「父離れできない娘が結婚するまで」という一言でまとめられる物語の中に人間と映画の面白さが詰まってる。例えば、原節子の俯いた顔を上げる時の美しさ。全員が部屋を出てから杉村春子が忘れ物がないか部屋をぐるり>>続きを読む
崩壊と修復(の努力)。リー・カンションの首の痛みという身体的な共感性によって映画を観ている観客の知覚にも歪みと痛みを伝播させ、そのフィルターがグロテスクな物語に寄与している。ハッテン場に通う父の部屋か>>続きを読む
夫婦喧嘩が法廷に持ち込まれ、逆に法廷の争いも生活に持ち込まれる。家庭では見ぬフリしていた夫婦(男女)の問題は裁判を通すことで顕在化していき、本音の言葉は弁護士という業務上の役割の中で語られるが、次第に>>続きを読む
全く別々の時空をいとも簡単に繋ぐことができるのが映画だけど、遂に繋ぎ目すらなくなってフレーム内に浸透し始める。目を合わせる、というジェスチャーによって各時代の互いに見ているもの(主観)を交わらせ、共有>>続きを読む
不具の映画。かなり硬質。撮影がめちゃくちゃいい。良し悪しとかではなくて、西村昭五郎だったらもっとケレン味のある映画になってたと思う。
猿の惑星のラストを反転させたような、文明に敗北した巨大な猿の死体。うっすらと終わりかける地球の中で、さらに何もかもをダメにする愚かな人類の話。
ジェラール・ドパルデューが病気みたいな緑のベロを出すオー>>続きを読む
散々号泣したのにその3分後にスプラッター怪談に突入して脳がぶっ壊れるかと思った。いいかげんにしろよ。でも最後の時間をそれなりに楽しく過ごそうとするの本当に泣ける。ああいうの切ない。
物語上の都合の部分>>続きを読む
銀行の前半はあまり面白くないけど、後半は偽物の幽霊と本物の幽霊と劇団員がごちゃごちゃに混ざって屋敷を徘徊して面白い。何がなんやらの混沌のあと、綺麗なオチ。
シュミットは大きな屋敷の中に入った途端に人間の動きが少しゆっくりになるオペラ的大仰さに魅力を感じてるのかなって思う。何度も登場する階段は、さらに歩みをスローにさせる。遅延の最中に、記憶を手繰り寄せる。>>続きを読む
走って転ぶための装置が、本当にそれだけのために周到に準備された家。本来の住居の目的である安全も快適も失われ、『文化生活一週間』のように家が人を屋外に出そうとして、その抵抗がスラップスティックになる。出>>続きを読む
一方的に巻き込まれる状況から脱しようとせず、その都度陥った環境に順応しようともがく姿のコメディ。コントロール不可能な球(ゴルフボール)のめちゃくちゃな軌道を受け入れることで、ラストには囚人をなぎ倒す武>>続きを読む
グーフィーのはずむ家どころじゃない物理法則がねじ曲げられた人力ルーニーテューンズ。『ポルターガイスト』のラストみたいに家が人間を襲う。ピアノを引っ張る部屋から正対に撮られたロングの異様なほどの喜劇感と>>続きを読む
すれ違い続ける、互いを理解し合えない映画。せっかくのシネスコでも誰かと誰かが横並びに顔を見合わせて話す瞬間が一切なく、人物が常に奥行きのズレた位置にいる。人が同一線上に並ぶのは宙吊りにされたロープのラ>>続きを読む
起承転でぶった切られる爆速の語りは「運」で貫かれる。ご都合主義的な物語は幸運と言い換える。ギトリにとって映画はインチキで製作者はイカサマ師と捉えているのか、楽しいオープニングは物語内でインチキのタネを>>続きを読む
フィルムの「繋がる」っていう性質に頼りすぎだと思う。ショット同士の関係が弱くて緊張感がない。それが狙いだとしても、台北の若者のどうでもいい内面を見せられたみたいで退屈でした。
壁紙の剥がれ、かき氷とステーキ、水のポット、ゲーム台から盗む基板とデカいバッグ、テレクラの壁に貼られたライオンの絵とか、細部が面白くてしょうがない。その細部こそ少年少女らを取り巻くチープでカラフルな台>>続きを読む
家族が集う食卓は現実から独立した抽象的空間であり、エリザベスのビジョン。彼女は斜め上から見てる。羅列みたいなぶつ切りの編集もティーンの荒んだ内面で、勢いがあっていいけどもう27歳の俺には響かない。
身も心も破滅する恋。死んでも好きな男からバカにされ、アートとして消費されてしまう。腕が千切れる男をエイズで亡くなったヴォイナロヴィッチが演じてるのが現実と重なって切ない。
インダストリアルみたいな音楽>>続きを読む
『ジェラートの天国』と同じ監督が演じる変態のジョアン・デ・デウスが出てくるけど、本作が三部作の一作目らしい。シリーズとして見ると流れがパターン化してるし、監督演じるキャラが一種のアイコンのように見えて>>続きを読む
水平でも垂直でもない、「層」としての時間がフィルムによって表現される。画面内には奥行きのないスクリーンの背景があり、その上に別のフィルムが重なっては消える。何かしらの映画というより、フィルムそのものの>>続きを読む
虚ろな視線の交わりだけで物語が進み、鬱になった男と目が合わなくなる。残されたイルム・ヘルマンと友人は決して目を合わせないように会話して終わり。進むというより停滞した挙句にひとりの男が退場するだけ、みた>>続きを読む
「生きてるのか?」「すみません」見ちゃいけないような黒く蠢くなにかが映ってた気がする。現実からも戦場からも切り離された雨と泥濘の空間で行われる裁判っぽいだけの死の手続き。ここに正義とか倫理はないし、処>>続きを読む
周りの男を虜にしてしまう女と暴力ヤクザを兄弟として関係したばかりに運命づけられた破滅。
勝新のリビドーは強烈な打撃音のパンチで発露し、勃起を収めるために自ら刑務所に居座る。それでも好きな女(妹)に射精>>続きを読む
絶対に映画館で見たい黒。
血の赤色も海の青も、映画の中だと白と黒の古典の2色に還元される。ノワールになったり喜劇になったりゴシックホラーになったりラブストーリーになったり、思春期の鬱屈した精神が完全な>>続きを読む
また来年会おうなんて引きずるだけの「ふた夏」でなくて「ひと夏」で終わらせるために小屋が燃える。蓼科の緑は生き生きとしてセックスは想起させても健全で、志麻いづみの淫乱牧師キャラが特に生かされることも何か>>続きを読む
奥行きがある画面に、小さく佇む老人と犬。
奥行きは時間の継起そのもので、何かの到来を常に予感させ、爆速で向かい来る列車の、圧倒的な力と容赦なさにただビビる。速さに対応できない=乗り物に乗れないやつは時>>続きを読む