アバダケダブラ屋さんの映画レビュー・感想・評価 - 2ページ目

アバダケダブラ屋

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10番街の殺人(1971年製作の映画)

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服を脱ぐ、階段を上る、階段を下りる、カーテンから外を覗く、ドアを開ける


何をうつして、何をうつさないか


言語の使用法含め黒沢清を彷彿とさせた。というより黒沢清がリチャードフライシャーを彷彿とさ
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わが谷は緑なりき(1941年製作の映画)

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調和のとれてない服装→炭鉱主の息子と娘の結婚という説話論的な不調和

説話論的な持続と主題論的な体系の緊密な連携

ヒッチ・ハイカー(1953年製作の映画)

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着替えるという主題

冒頭ぬっと顔が出るまでのカットの繋ぎ。ゾッとするラストへ。

赤と白の錯覚(2014年製作の映画)

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断片的な記憶が断片的に書き換えられていく様が断片的な映像によってみせられる。


記憶を書き換えてしまうトリガーの1つとしての音。良かったな

(1963年製作の映画)

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人間の内側にある“鳥的なもの”が表出する瞬間が恐ろしい。


人間が安心して暮らすための枠組み=社会に文字通り穴が空いたときの人間という存在の弱さの露呈。

ラスト、カオスな世界に飛び出していったあの
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ロープ(1948年製作の映画)

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冒頭から続く1カット。

そのカットが切り替わる瞬間に物語が決定的に動き出す。

花腐し(2023年製作の映画)

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ここではないどこかを求め彷徨う3人が、紛れもなく存在するここに回帰する物語。


3人はフィクションの世界を生業としていた。
ここではないどこか、私ではない何者かを求めて。


が、当然そのような世界
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サイコ(1960年製作の映画)

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白いレースのようなものがゆらめいている恐怖。

うつしてほしいものがうつらないもどかしさ。映らないゆえにみる側が想像させられる。恐怖が増幅させられる。

バーナデット ママは行方不明(2019年製作の映画)

4.5

非常に良かった。


社会から開かれる契機になった毒女宅への土砂崩れ事件。そこまでの流れが良かった。


画面の色彩。
白→黒→白→黒の往復。
最初は色彩とシーンの雰囲気が一致していた。
明るい→苦悩
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ラヴ・ストリームス(1983年製作の映画)

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stream =流れ

愛は流れる。大きい流れの中で出会い、愛し、死んでいく。



物理的に、モノは上から下へ。水の流れもそう。山から海へ。


男の家は高台にある。孤独を抱える人間たちが男の家に集
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台風クラブ 4Kレストア版(1985年製作の映画)

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生黒沢清ありがとうございました

2人の通過儀礼の話だと理解しました。

よみがえるブルース/トゥー・レイト・ブルース(1961年製作の映画)

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not too late


ラストは、彼らが内側から湧き出る思いで演奏した音楽。過去の肯定。


そしてそれは、冒頭彼らを一直線に見つめる少年の瞳に通ずる。

破局(1961年製作の映画)

5.0

短編みた中で1番おもろい。



後ろで秒針なり続けてるのが死ぬほど気になる。秩序と混沌が同時にそこに存在してる感が最高。


それまでずっと男の上半身メインで撮っていたが、スッと床を映す。広がる惨状
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ヨーヨー(1965年製作の映画)

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大前提、社会生きるためには、なりすます必要がある。


これは、父母の開かれと、ヨーヨーの開かれの話。



父母に関しては、中盤あたりでもう開かれちゃったので、それ以降は一回も登場しなかった。
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