吹奏楽部のコンサートのポスターに「2019」とある。2019年度ということだろうか。だとすると、コンサートは2020年の3月に開かれたことになる。集まった聴衆のマスクの着用率からすれば、すでにコロナは>>続きを読む
運動とショットだけでこんな瑞々しい映画が出来てしまうのか。
女の子二人のあとをつけて歩く男の子二人のあいだを猫がスッと駆けていくところとか、普通に驚く。
近年の濱ちゃん作品のなかでは一番好き。
自然のなかで撮影されたシーン、ショットを見ているだけで時間を忘れる。ストーリーや設定は場当たり的というか、後付けだろう。それでもこんな緊張感と面白さがある映画に>>続きを読む
シネフィル的な評価は散々なのだろうけど、予想外に面白かったし、沁みた。
この原作漫画家の、2000年代的主題を反復し続ける強迫観念は何なんだろうか。2000年代に10代を過ごした者として、見ながらどうしようもない羞恥を覚え、居心地が悪かった。
ようやく見られた完全版。しかし、見たときのコンディションが悪かったため、記憶が曖昧……。
リベットらしい、すけべでエロチックな登場人物たちは本作でも魅力的。
ただ、『セリーヌとジュリーは舟でゆく』のよ>>続きを読む
教皇が見た割礼の悪夢。教皇の死体を川に投げ捨てる民衆。どろどろの世界をこてこての演出でたっぷりと撮ってみせる肝の座り方に感服。
河を超え、死者たちが一堂に集い抱き合う場面に号泣。彼らは断じて敗者でも犠牲者でもない。
あまりにも素晴らしい。主人公が謎を追っていくなかで、現在と過去の時と場を越境し、行ったり来たりする魔術的な映像を見ていると、映画とは時間芸術であり空間芸術であるのだとしみじみと感じ入ってしまう。
小津のなかでも最高の一本だろう。原節子がかわいすぎる。
「面白いですね、『チボー家の人々』。」
「どこまでお読みになって?」
「まだ四巻の半分です。」
見返すと、序盤のこのシーンが熱い。
初犯かと思いきや常習犯を描いた映画。当時リアルタイムで読んでいた『デスノート』や『無頼伝涯』あたりの漫画の雰囲気を濃密に思い出していたら、監督は実写版『デスノート』の金子修介であった。あるトリックの面>>続きを読む
見下げ果てた男を演じるハーヴェイ・カイテルが発する、うーうっー、という呻きは、私にとって人生のサウンドトラックであり、そしてまた福音として響いた。
アベル・フェラーラ『天使の復讐』(『Ms.45』1981年)
主人公の啞の女性が、全てのセックスは強姦である、したがって、あたし(含む女に)に1ミリでもちょっかいかけてきたら殺す、みたいなテンションに>>続きを読む
この作品を見てしまうと、画面に階段が映ると人が落ちてくるんじゃないかとビクビクして身構えるようになってしまった。
自分のなかのセンチメンタリズムに触れるせいか、毎回立ち直れないくらい喰らってしまう。
生まれも育ちも、仕事も恋愛も、全てに恵まれず、何もかもうまくいかない男は、「負け犬」と笑われ、どれほど叩きのめされ、なんども騙され、無様に地を這おうとも、希望だけは絶やさない。「こんなとこでは死ねない>>続きを読む
人間を縄のようにぶんぶん回して長縄跳びをするシーンに度肝を抜かれる。それぞれがぐるぐる回って倒れた方向に布教へ行くラストに笑いと涙が溢れる。画面に漲る運動性が凄まじい!
私たちは神を直接撮ることはできない。神を信じているという観念も、また、撮れない。できるのは、神を信じている人びとの姿を撮る、ただそれだけである。
その人びとの様を客観的にみれば、滑稽で、哀れで、そして>>続きを読む