画面とシーンは全てデザインで、映画やアニメーションのおもしろさはデザインに従属する程度のものとして扱われるのが嫌。中盤以降のストーリーの展開があまりにも嘘すぎるように聴こえるんだけど、それはデザイン第>>続きを読む
かなり難しい時代設定で、大掛かりなセットを組むわけにもいかず、結果として外を歩いたり走ったりという場面も作りづらいなかで、オープニングの2シーン平行からも提示しているように、服を着ることで素の自分から>>続きを読む
大きな力に立ち向かう勇気という一貫したテーマを軸に手堅くまとまって結構いい。山火事も見栄えするし。エピローグが長いかと思ったけど灰色の焼け跡に降下する赤のパラシュートやりたかったんだろうなって。保安官>>続きを読む
すげーヒップホップなんだけどタランティーノ的なヒップホップじゃない。ワイズマンがベートーヴェンならこれがNasって感じ。
そりゃ好きにならん方が無理だよ!
体感3分の1くらいずっと武が歩いてるんだが、まさにあの、ちょっと左に傾いた歩き方が、我妻の社会や組織に対する怒りや情熱の過ぎ去った後の諦観を象徴しているようにみえる。さすがに説明はあんまり上手じゃなく>>続きを読む
三宅はほんとうに耳がいいと思う。ワイズマン 『ボクシングジム』直系の、リズム&ビートのボクシング映画。すごい。
政争の話とかいる?犯人を誤認させるためだけにあるならまだ洗練に至ってない感じがする。
手腕は発揮されているが、情報を小出しにする時間を稼ぐためのアクションであって、題材とバチっとハマったときのドライブ感があるわけではないと感じる。
おもしろい。男社会ではどこまでいってもナメられるベイビーフェイスチビが自己と女からの承認を得るために暴力で足掻くものの、、、というすごくエモい話なんだが、エモを振り切る速度でぶっ飛ばすのがいい。扉一枚>>続きを読む
うわーすごい。ボクシングシーンの迫力もすごいし、何よりウォルシュの群衆はカロリーがあるというか、活き活きとしているなあ。
自分の中で、フォード映画が完結したという感慨すらある。直感として、フォードは全ての作品で同じ物語を描いており、その最終篇としてこの作品を撮ったのだと思わされる。もはや荒野を馬が駆け巡ることもなく、同じ>>続きを読む
肉体と魂。言語と肉体。太陽と月。音声と画面の不一致について。そもそもトーキー映画というのは、音声と画面の不一致から作り出すものだというゴダールの映画論?歴史的にはもちろん、先に画面があり後から音がつい>>続きを読む
予想もしてなかったけど『ワカンダフォーエバー』なみの追悼全振り映画だった。
オープニング「ハリー・ケリーに捧ぐ。夜明けの西部に煌く星に…」でもう泣く。そして息子のハリー・ケリーJr.が出演。赤ん坊が出>>続きを読む
『アベンジャーズ』へ言及するにはあまりにも責任感がないけれど(MCUにあるとは言っていない)、ゲームやりたくなったからオッケーなんじゃないか。
いちばん最後の半旗は、『モホークの太鼓』のラストの旗と対応しているなっておもっちゃう。
おもろすぎ。電報より電話よりハグ、キス、取っ組み合いと腕組んで歩く。
ヴェーラのチラシに「フォード的でない作品に見えるが、」とあったけど、国家や巨大資本といった縦構造の社会に回収されまいとする人々が、>>続きを読む
ここまで要素を削ぎ落としていくと、構図とカメラの動きしかやることがない。それだけで2時間見せきるのは大変だと思う。生の人間が写っているかんじも苦手だった
最後のせりふ「みんな裸だったら商売あがったりだ」ってかっこいい。
観てる誰もがわかっていることしか起きないし、そういう意味では大して怖くないんだけど、見せ方の手数で楽しませようとしてくれてるところに好感がもてるし、まんまと結構楽しかった。後半手数が切れてくるのと、人>>続きを読む
母からの手紙に対して、筆無精だったアケルマンの、映画作家としての返信。カメラは当時のアケルマンの視線であり、観てる方もだんだんそこに同化していってトリップしてくる。
併映「街をぶっとばせ」
?って感じでした。チャドウィック・ボーズマンが亡くなったことすら知らなかったからかも。彼の冥福は祈ります。